おやじの つぶやき

グリンデルワルトに住む、安東一郎=おやじ が、特にテーマもなく、毎日の変化、
行動、思い=気持ち、その他を とりとめなく、つぶやくコーナーです。
多少、個人的、傾斜的、一方的、一面的、勝手気ままに書いていますが、お許しを。
この「おやじの つぶやき」についてのご意見がありましたら、「ここ」へ.。
ご批判、激励、賛同、反対、その他、なんでもOKです。
(但し、匿名のメールは無視しますので、お名前をちゃんと書いて来てくださいね)

また、「写真クイズ」などの回答は
「ここ」へ回答をお送りください。
なお、  をクリックして頂くと、写真が御覧頂けます。
「おやじのつぶやき」(2006年01月分) 「おやじのつぶやき」 表紙 「おやじのつぶやき」(2006年03月分)

2006年02月28日(火) 曇り 0946
今日の天気は、曇り。

一日中事務所での仕事を行なう。
現在、グリンデルワルト・クラブ・ニュース(3月号)の発送準備を行なっている。

さて、2月も今日で終了する。
明日から3月だ。(当たり前だが。。。。)
スキーシーズンも真っ最中とはいえ、村の中には雪の姿も消えており、な〜んとなく「もう春かな〜〜〜」な〜んて感じ
てしまう。しかし、まだまだ冬の真っ最中であるが。。。。

スイスのニュースから・・・
『スイスの刑務所で記録的な収監者数  (Tue. 21.02.06 Smi)
 スイスの刑務所に服役中の囚人の数が始めて6,000人の大台を超えた。
この統計は2005年9月7日付け連邦統計局が、122箇所の刑務所と拘置所を調べた結果。
期日まで収監される囚人の数は、6,540人分の収容所に6,111人で、平均収容率は93%。
およそ40の収容所では100%ないしは100%を超える収容率で、9箇所の収容所の登録者数は20%以上の過密
状態となっている。
スイスの刑務所では約71%が外国籍の囚人。スイスの人口10万人につき83人の囚人が居る勘定。
スイス以外のヨーロッパ諸国の平均収監囚人は、人口10万人につき97人。
http://www.bfs.admin.ch/bfs/portal/en/index.html
だそうだ。
スイスの刑務所が満杯だなんて、誰も知らないよね〜〜。
しかも、71%が外国籍の囚人だな〜んて。

「オリンピック・グッズ」の写真
2006年02月27日(月) 晴れ *** 0945
午後12時に起きるつもりで、目覚まし時計をセットしたものの、いや〜、起きれませんでした。。。(笑)
天気は、晴れ。
我家のベッドが一番良く眠れる。

午後から事務所に出て、たまっている仕事を片付ける。
昨日までのオリンピックも夢のよう。
娘は、朝から学校の行事でスキーに行った。
今週は「スポーツ・ボッヘ」(Sport Woche)といい、スポーツを毎日する週である。
そして、今週末の土曜日から「スポーツ・フェーリエン」。つまり、「スキー休暇」が始まるのである。
03月12日までの09日間である。

ニュースから・・・
『スポーツニュース - 2月27日(月)16時8分    
        情熱、燃えた17日間 トリノ五輪閉幕         2010年バンクーバーへ
   【トリノ=古沢一彦】第20回冬季五輪トリノ大会は26日(日本時間27日早朝)、トリノ市内のコムナーレ競技場で
閉会式を行い、17日間にわたる「雪と氷の祭典」は幕を閉じた。
大会には史上最多の80カ国・地域から2、573選手が参加し、7競技84種目が実施された。
金メダル争いはドイツが11個で、1998年長野大会以来のトップ。米国とオーストリアが9個で続いた。
  閉会式はイタリアの伝統的な謝肉祭(カーニバル)をテーマに行われ、戦いを終えた選手たちは笑顔で参加。
フィギュアスケート女子で優勝した荒川静香(プリンスホテル)もアイスダンスの木戸章之(新横浜プリンスク)に肩車
されて登場した。
  国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長が閉会を宣言。五輪旗がトリノのキアンパリーノ市長から2010年の開催
都市、カナダ・バンクーバーのサリバン市長へと手渡された。
フィナーレは冬の夜空に無数の花火が打ち上げられ、聖火が静かに消された。」
            (産経新聞) - 2月27日16時8分更新』

写真で見るオリンピックは、
http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/feature/2006_winter_games_torino/
2006年02月26日(日) 晴れ 0944
今日の天気は、晴れ模様。
昨夜(今朝方)遅くホテルに戻って来て、ベッドに入って寝ようとしたら、ドカドカと足音が。
隣りの部屋で、ペチャクチャと、大きな声で話し、笑うイタリア人が数人。
あ〜あ、参ったな〜〜〜。

同じホテルには、オリンピック関係者も多く宿泊しており、なかには日本人選手らしき姿もあったが、誰かは知らない。
ゆっくりめの朝食を取り、11時ごろにホテルをチェックアウトしてトリノ市内に向う。
残念ながらアイスホッケー決勝戦のチケットは手に入らなかったので、夜の閉会式までたっぷりと時間がある。
トリノ駅近くに車を止め、歩いて街中を散策する。
娘の目当ては「オリンピック・グッズ」を買うこと。(実は、おやじも、そうなのだが・・・・笑)
オリンピック公式グッズを発売しているテントに向う。
店内には、すごい人だかりで、誰も彼もが同じようにオリンピック・グッズを買う客である。
どこでも、同じだね。。。。
結局、おやじと娘とそれぞれ、色々と購入した。(笑)

その後、昼食を取ったり、ブラブラと歩いたり。。。。
商店も、日曜日だというのに、結構営業している、
これも、やはりオリンピックの影響だろうか。。。
そのオリンピックも今日が最後だが。

夕方には、オリンピック・メイン・スタジアムへ。(「スタディオ・オリンピコ」)
昨日もそうだが、入り口でチケットのチェックと、持ち物検査がある。
その後、ゲートごとに入り口が分かれており、近くの入り口から入るようになっている。

今日の指定券は、ナ・ナ・ナント!
五輪マークのすぐ後ろ。五輪マークに向って、左後ろの席だった。(前から6列目であるが・・・)
まるっきり、五輪マークの後ろや、鉄柱に邪魔されて見えない客は係員に言って、席を替えてもらっていた。
それだけ、売れていない席があるということだろう。
おやじと娘は、別に気にしないので、そのまま座わる事にした。

午後7時から、司会者が出てきて、色んな説明や話しをしていた。
そして、午後8時00分より、閉会式が始まった。
なにしろ、広い会場で、出演者もコメ粒にしか肉眼では見えないので、会場内に4ヶ所設置されている大きなスクリーンの
画像を見ないと、なにがなんだか、わかんない。(苦笑)
しかし、オリンピックの会場に自分が居る!という事実は、うれしい。
演出も華やかで、テンポもよく、照明も美しい。
やっぱり、イタリア人の演出というのがいいのかも知れない。。。。
ただ、演技を見ている最中のいつのまにかに聖火が消えてしまったのが、ちょっと残念。
ひとこと、「聖火が消えますよ〜〜〜」と教えてくれたらいいのに。。。。と、娘と意見が合った。(笑)

まあ、みなさんもテレビで見られたと思うので内容については省略します。
(おやじも、自宅に言って、テレビで録画してもらっているので、それを見れば全体像が判るだろう・・・笑)

いつの間にか終わった(特に「これで終了します!」というアナウンスも無いので。。。。)のが、午後10時30分ごろ。
まるで、「流れ解散」のように、出演者もお客も帰ってゆく。
心残りの客はいつまでも会場にたたずんでおり、帰る客はさっさと出口へ向っている。
おやじも、座っていた席から会場横側に回り、ずっと後ろから見ていた五輪を前から見ることに成功!(苦笑)
次回からは、高くても横側の席にしようと決心したのである。
(アイスホッケーも閉会式も、後ろの席では見えにくいし、しかも絶対にテレビには写らない!と判ったので・・・笑)

さて、昨日よりは早い時間だったのでかどうかは知らないが、今夜はすぐにバスがやってきたので、それに乗って昨日と
同じ駐車場へ。
午後11時30分に駐車場を出発。グリンデルワルト帰着予定時間は、午前05時00分ごろ。
(所要予定時間は約5時間30分である。距離は約450km)
トリノから高速道路でアオスタへ。そこからサン・ベルナルド方向に山道を登り、国境に着いたのが、午前2時ごろ。
サン・ベルナルド・トンネルを抜けてマルティーニ。そして、高速道路でモントルー、フライブルグ、ベルン経由で走る。
が、眠たいのなんのって! めちゃめちゃ眠気が襲ってきたので、何度も何度もドライブインやパーキングに車を止めて
は外に出て、眠気を振り払いながら走った。
結局、グリンデルワルトの自宅に到着したのが、午前06時10分だった。
(トリノを出てから約6時間40分掛かったことになる)
あ〜あ、疲れました。。。。。
これから寝ま〜〜〜す。

「オリンピックの写真」(02月26日)
2006年02月25日(土) 曇り 0943
今日の天気も、曇り空。

さて、午前10時30分にグリンデルワルトを出発した。
オリンピックを娘と二人で見に行くために。。。。。
途中でラジオの交通情報が流れてきて「カンデルシュテッグ〜ゴッペンシュタイン間は約1時間の待ち時間」という。
「えええ〜?」とおやじ。
1時間も待つなんて・・・。なるべく早くティラノに着きたいのだ。
しかし、今日はスキー休暇中の土曜日である。どこもかしこも混んでいて、他のカートレインなどは、約2時間とか約
2時間30分の待ち時間というから、そりゃ〜大変だ。
そこで、おやじは考えた。
1時間もカンデルシュテッグで待つよりは、高速道路をモントルー経由で走ったほうが速くないか!?と。
結局、グリンデルワルト〜ベルン〜フライブルグ〜ヴェヴェイ〜マルティーニのコースを行く事にした。
(本来は、グリンデルワルト〜カンデルシュテッグ〜ゴッペンシュタイン〜シオン〜マルティーニであったが)

調子よく走っていた高速道路も、ヴェヴェイの近く、インターチェンジに差し掛かると渋滞が約2km近くあった。
「えっ? もしかして、このまま渋滞?・・・・」な〜んて心配したが、一部区間での渋滞だけで、その後は順調に走る事が
できた。
マルティーニからグラン・サンベルナルド・トンネルを通りイタリア領に。アオスタを経由して、トリノ近くのホテルに到着した
のが午後4時ごろ。グリンデルワルトを出発してから約5時間30分かかったことになる。
(走行距離は、約450kmである)

さて、車でトリノ市内に入り、指定された駐車場に車を止め、そこから定期バスに乗って、オリンピック・スタジアムに向う。
街中は、そんなにオリンピックムードではないが、さすがにオリンピック・スタジアムに近づくと、オリンピックの旗が立ち
並びオリンピックの雰囲気が始まる。
インターネットで予約したチケットをピックアップし、スタジアム周辺を散策する。
今夜の男子アイスホッケー3位決定戦は、パラスポーツ・オリンピコ・スタジアムで行なわれる。
チェコスロバキア対ロシアである。

午後8時30分の試合開始だが、午後7時30分ごろには会場に入った。最初は少ない観客数だったが、試合が始まる頃
には、ほぼ90%ほどの入りとなった。(入場者数は、7500人と発表があった)
結局、ロシアチームの勢いが無く、3対0でチェコスロバキアの勝利に終わった。
帰りは、なかなか来ないバスにイライラしたものの、そこはイタリアのこと。
仕方ないね〜〜〜〜〜。
約30分くらい待って(み〜んな、待っていたが)、ようやくやって来たバスに乗り、駐車場へ。
ホテルへ戻って来たのが、午前01時30分ごろ。。。。
あ〜あ、疲れた。。。。(笑)

ホテルの部屋からはインターネットが繋がらないので、グリンデルワルトに戻ってから公開しています。

「オリンピックの写真」(02月25日)
2006年02月24日(金) 曇り *** 0942
今日の天気は、曇り空。

昨夜の女子フィギアスケートで、ナ・ナ・ナント。
荒川静香さん(24)=プリンスホテル=が金メダルを獲得した。
メダルに縁の無い今回のトリノ・オリンピックで、期待されていなかった(失礼!)選手が、やってくれました!
最後の最後になっての「金メダル」。この価値は大きいですね〜!
おやじも家族と一緒に見ていて、まさかの優勝に、喜びましたよ!
良かった、良かった。本当に良かった。。。。。(笑)

ところで、今日はお葬式に行った。
02月16日(木)に「エミール」さんが亡くなった。
やさしく、楽しいおじいさんで、日本に一緒に行ったこともある。
「Emil Sutter」(エミール・スッター)氏は、グリンデルワルトでも著名人である。
グリンデルワルトに新聞会社を興し、登山ガイド組合、ライオンズクラブ、スイス山岳会、スキー学校、観光局など、
様々なグリンデルワルトの組織の名誉メンバーである。
グリンデルワルトの発展に長年力を尽くして来られた方である。
晩年も、長年集めた絵画の展示会を催したり、本を発行したりと、何かと精力的に生きてこられた。

グリンデルワルトの教会は、プロテスタント(新教)である。
今まで、4〜5回葬式に行ったが、いつも質素なものである。
日本のお葬式と大きく違う点は、、、、まず、
1)墓地にて、遺族が居て、参列者が集まってくる。(開始は、通常午後2時00分からである)
2)参列者たちは、香典(と同じようなカード)を箱の中に入れる。
3)午後2時の時報と共に、牧師さんが話しを始め、故人の簡単な人生や亡くなった原因などを話す。
4)その後、故人の灰(または、遺体)を墓地の埋葬地に運ぶ。(遺体を焼く、焼かないは自由に選べる)
5)献花などが故人の次に、そして、遺族が続き、参列者の順番になって、埋葬先に移動する。
6)ここでも、牧師さんの話があり、そして、遺族が献花する。(お棺の場合は、土を撒く)
7)教会に移動し、教会内で遺族、参列者と共に、椅子に座って、牧師さんの話しを聞く。
  ここでも、故人の人生を、生まれた時から亡くなるまでの間を話しする。
8)牧師さんの説教を聞き、賛美歌を共に歌い、そして約1時間30分かかって、終了する。
  今日は、ヨーデルの歌が3人のグループによって唄われた。(今までには無かった)
「エミール」さんのご冥福をお祈りする。。。。

日本だと、遺影を飾り、弔電などを読みあげ、遺族代表の挨拶などがあるが、こちらでは一切なし。
遺族の長男(いわゆる、喪主)が、ジーンズに普通のヤッケ姿。
他の遺族は黒い服だったが、特別に喪服というわけではない。普通の黒い服である。
参列者も同様で、ジーンズだったり、普通の服だったり。。。
今は、冬だから黒っぽい服を着込んでいるが、これが夏だったら、結構カラフルな色の服を着て来る参列者も居る。
まあ、お国変われば、葬式も変わるところだ。。。。。

ちなみに、おやじの葬式は、公民館でグリンデルワルトでのおやじの様子をまとめたビデオ(DVD)を放映するので、
それを見ながら、飲みながら、食べながら、みんなで和気アイアイとやって欲しい。
飲食の費用は、自己負担である。これが、おやじの希望する「さよなら会」である。(笑)

ところで、おやじと娘(仁子)の2名は、明日トリノへ行きます。
もちろん、オリンピックを見に行くのです。
家内は用事があるので行けず。長男はアイスホッケーの試合があるので行けず。
かくして、おやじと娘の二人だけとなったのです。
25日の男子アイスホッケーの3位決定戦と、26日の閉会式のチケットを購入しました。
(26日のアイスホッケーの決勝戦のチケットは売り切れだった)
切符は安い席なので、多分テレビには写らないと思いますが、万が一写るかも???(笑)

明日の「おやじのつぶやき」は、トリノからお送りします。。。(笑)
エミール・スッター さん
2006年02月23日(木) 晴れ *** 0941
今日の天気も、晴れ模様。
太陽の日照時間が徐々に長くなっているためか、また気温も多少上がっているせいか、道などの雪の量が少しづつ
少なくなっている。
次の雪は週末に降るのだろうか?

さて、ニュースから・・・
『海外ニュース - 2月23日(木)20時55分      市場の屋根崩落、33人死亡・25人負傷…モスクワ
 【モスクワ=金子亨】ロシアの首都モスクワの屋内市場で23日午前5時(日本時間午前11時)過ぎ、建物の屋根が
崩落し、インターファクス通信によると、33人が死亡、25人が負傷した。
  多数が下敷きになっている可能性があり、犠牲者がさらに増える恐れがある。
雪の重みを屋根が支えきれなかったことや、設計ミスなどが原因と見られ、検察当局が捜査を始めた。
  事故が起きたのは食料品などを売る「バスマン市場」。
露非常事態省当局者によれば、まず屋根が崩れ、続いて鉄筋コンクリート製の建物が崩壊したという。
崩落時に爆発音が聞こえたとの情報はなく、モスクワ市のルシコフ市長はテロが原因ではないとの見方を示した。
  救助隊員が救出活動を急いでいるが、未明の事故だったため、客はほとんどいなかった模様で、死傷者の多くは
従業員とみられる。在モスクワ日本大使館によると、邦人の被害者は確認されていない。
  タス通信によると、建物は1974年に建てられた。
モスクワ市内では2004年2月、屋内プールの屋根崩落で約30人が死亡する事故が起きたが、インターファクス通信
は、このプールの設計者が今回の建物も設計したと報じた。     (読売新聞) - 2月23日20時55分更新』

同じような事件が、最近日本でも起きましたね。。。。
つまり、同じ設計者が設計した「手抜き設計」(手抜き工事)。
日本とロシアと、場所は全然違うが、起こるべきして起こった事故。
きっと、ロシアでもこの事故をきっかけに「手抜き工事」の実態調査が始まるだろう。
そして、次々とアチコチの「手抜き設計」(手抜き工事)が表面化するだろう。。。。

亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
2006年02月22日(水) 晴れ *** 0940
今日の天気も、晴れ模様。

今日は、グリンデルワルトに毎年来られる常連のお客様をチューリッヒ空港までご案内する。
グリンデルワルトに2週間滞在されてスキーを楽しまれたお客様である。

さて、今日は『グリンデルワルトの星』「マルティーナ・シルト」が、グリンデルワルトへ凱旋帰国の日である。
午後5時30分前から駅前駐車場に多くの人々が集まり、マルティーナの到着を待った。
やがて、上空よりマルティーナの乗ったヘリコプターが到着。
みんなが待ち受ける中、マルティーナと両親が降り立った。
舞台では村長の「歓迎の挨拶」があり、その後メインストリートをパレードする。
ホテル・サンスターでUターンして、スポーツセンターにての歓迎のパーティーが行なわれた。
村長、元スポーツ大臣、県議会議員、グリンデルワルト・スキークラブ、スキー連盟ベルナーオーバーランド支部などの
挨拶が延々と続いた。
しかし、挨拶する人は普段着のまま。ジーンズやスキーウェアーなどの普通の服装。ネクタイにスーツ姿なんて皆無。
その間、会場内の左右のスケートリンクでは、歓声を上げて勝手に遊ぶ子供達。
また、同じ場所では、飲み物や食べ物を買うのに夢中のスキー学校やスキークラブのメンバーたち。
いやはや、所変われば。。。。なんとかで、某国の式典とはまるっきり違う。(苦笑)

オリンピックでは、男子パラレル大回転では、スイス人の兄弟が金と銀メダルを獲得。
(ファイナルレースでは兄弟対決だった!) 
また、フリースタイルでは、女子が金メダルを獲得。更に、女子カーリングではカナダに勝って、決勝戦へ進んだ。
しかし、男子アイスホッケーでは、スェーデンに7対2でスイスチームは負けてしまった。

『スポーツニュース - 2月23日(木)1時15分       <スノーボード>初の兄弟対決、凱歌は弟に 大会2連覇達成
   スノーボードの男子パラレル大回転の兄弟対決となった決勝は、弟のフィリップ・ショッホが1歳違いの兄、シモンを
抑え、五輪2連覇を果たした。
冬季五輪史上、同一レースの兄弟・姉妹の金、銀獲得は3度目。だが、1対1の対決で勝敗が決したのは史上初。
後を追って滑り込んできた兄のシモンは拍手で弟をたたえた。     (毎日新聞) - 2月23日1時15分更新』
ヘリコプターで到着 馬車にて(後方がマルティーナ) スポーツセンターにて
2006年02月21日(火) 晴れ *** 0939
今日の天気も、晴れ模様。
今日は、中年のご夫婦をご案内してのスキーコースガイドである。
天気は良し、風も無く良し。
しかし、スキー休暇中のこと、どこも混んでいた。
特に、ヴェンゲンから登るロープウェイは、入り口付近まで行列が出来ており、3本のロープウェイを待った。
先週末の強風で雪も飛ばされており、少なくなっていた。

ニュースから・・・
『スポーツニュース - 2月20日(月)9時0分       中田浩がスイスデビュー=サッカー
  【ロンドン19日時事】サッカーのスイス1部リーグ、バーゼルに加入したMF中田浩二は19日、スイス・バーゼルで
行われたホームのシャフハウゼン戦で先発出場し、スイスでのデビューを飾った。
中田は中盤で起用され、後半34分に交代で退くまでプレーした。
   中田はフランス1部リーグのマルセイユから1月に移籍した。試合は1−1で引き分けた。 
            (時事通信) - 2月20日9時0分更新』
中田選手の移籍で、スイスに少しは注目が浴びるだろうか?
あるいは、中田選手を応援に来る日本人も増えるだろうか?
少しは、スイスの経済効果に役立って欲しいな〜と、思う。
アイガーとメンヒ ラウバーホルン ヴェッターホルン
2006年02月20日(月) 晴れ *** 0938
今日の天気は、うって変わっての晴れ模様。
気持ちの良いくらいの晴れ模様である。

オリンピックの女子スーパーG競技で、グリンデルワルトの「マルティーナ・シルト」は、堂々6位であった。
優勝は前回の滑降競技と同様に、オーストリアのミヒャエラ・ドルフマイスター(オーストリア)が金メダルを獲得した。
「マルティーナ・シルト」は6位といっても、スイス勢ではトップであるからにして大したものだ。
この「マルティーナ・シルト」は、水曜日の午後5時30分からグリンデルワルトにて村をあげての「歓迎会」が行なわれる
そうだ。駅前駐車場からホテル・サンスター、そしてスポーツセンターまでの間を行進し、その後、スポーツセンターにて
歓迎会が開かれるという。
もうなんたって、昨年の「ダニエル・カンデルバウアー」以上の『グリンデルワルトの星』かもしれない。。。

夜に、ファーラーハウス(直訳では牧師の家=集会場のような家)に行く。
ここで、この5月に「成人式」(コンフォマチオーン)を迎える子供達の親への説明会が牧師によって行なわれた。
おやじは、めったに学校や教会や、その他の集会には行かないのだが、今夜は珍しく家内と一緒に行った。
そこには、グリンデルワルト村の9年生の親たち(約50人)が集まっており、そのほぼ全員の顔をおやじは知っている。
(しかし、どこの誰かとか、名前などはわからないのだが・・・)

牧師による「コンフォマチオーンとは、何か?」、「なぜ行なうのか?」、「いつ、行なうのか?」などの説明があった。
今のグリンデルワルト教会の牧師は、若い男性で、子供達にも人気のある人である。
ギターを弾きながら歌も唄うし、マウンテンバイクにも乗るし、スキーも上手である。
親の中に「どうして、日曜日にするのか? 翌日は学校があるのに?」という質問があった。
コンフォマチオーンのあと、家庭では家族やゴッドマザーやゴッドファザーなどを呼んでの会食があり、夜には子供達の
パーティーが開かれるのが常だからである。
牧師は、5月以降の学校や教会などの各種の行事が重なっていて、出来ないから5月にするんですの説明があった。

結局、駅を挟んで東側に住む子供達は05月21日(日)にファーラーハウスで。西側に住む子供達は05月28日(日)に
教会ですることになった。但し、教会でするのは約10人の子供達である。
なぜ一緒に行なわないかというと、全員の子供達を教会では出来ないのである。つまり、約30人の子供達が集まること
になると、その両親、兄弟、親類、ゴッドマザーやゴッドファザーなどを呼ぶと、とても教会には入りきれないくらいの数に
なるのである。。。。。
ちなみに、おやじの長男である一康の場合は、05月28日(日)に教会でする。そして、招待する人数は日本からの
親戚も含め、グリンデルワルトのゴッドマザーやゴッドファザー、知人などを含めて軽く20人くらいにはなるだろう。。。
2006年02月19日(日) 曇り 0937
今日の、天気は曇り。
お昼からのオリンピック「女子スーパーG」競技を見ようと楽しみにしていたが、強風とガスのために中止になった。
順延で、次の火曜日に開催されるという。
(グリンデルワルトの「マルティーナ・シルト」が出場する)
また、グリンデルワルトの常連さんご夫妻とスキーに行く予定も、強風のために各乗り物が運行を中止するとのことで
取りやめになった。
オリンピックで男子アイスホッケーの試合を見ていたが、昨夜はカナダに圧勝したものの、今日のドイツ戦では2−1で
勝っていたものの、終了間際にドイツに1点を入れられ、2−2の同点で終了した。
あと、残るイタリア戦に勝てばスイスチームは、上位に入れる。。。
頑張って欲しい。。。

ニュースから・・・
『エンターテインメントニュース - 2月19日(日)16時0分       ストーンズの無料コンサートに120万人=ブラジル・リオ
    【リオデジャネイロ18日】伝説的なロックバンド、ローリング・ストーンズは18日夜、ブラジル・リオデジャネイロの
コパカバーナ海岸で無料のコンサートを開催。
120万人以上のファンが集まるという空前絶後の巨大コンサートとなった。
 ボーカルのミック・ジャガーが「ハロー、ブラジル!」と叫んでコンサートの幕が開いた。
ストーンズは、往年の大ヒットナンバーの「サティスファクション」、「ホンキー・トンク・ウィメン」など20曲以上を演奏し、
会場は熱狂に包まれた。
  今回のコンサートは、リオデジャネイロ市と携帯電話会社2社が主催。
コパカバーナの海岸には幅60メートル、高さ24メートルの特設ステージが設けられた。
周囲のホテルのバルコニーや沖合に停泊した船でもファンがストーンズの演奏に酔い痴れた。
  ミック・ジャガーはコンサート前、アルゼンチン紙とのインタビューで、「観客が100万人を下回れば、コンサートは
失敗」と語っていたが、それをはるかに上回り、ロックコンサートとしては史上最大規模となった。
  ファンは18日朝から場所取りのために会場に集まり、市当局は警官約3000人、消防士・救急隊員約500人を
動員して警戒に当たったが、事故はなかったという。            (時事通信) - 2月19日16時0分更新』

さすが、世界的なロックバンド「ローリング・ストーンズ」である。
日本の有名なミュージシャンがいくら頑張っても、「無料」で「120万人」は動員できないだろう。。。。
さすが、ローリング・ストーンズである・・・・・・。
こういう世界的なミュージシャンが日本から出てきてもいいのに・・・と、思う。

遅くなりましたが、
「今月の写真」です。
2006年02月18日(土) 雪/曇り *** 0936
今日の、天気は朝から雪降り。
結構激しく降っていた。
トリノ・オリンピック会場でも、積雪と強風のために、アルペン競技が一時延期になった程である。

今日は、おやじはお休み。
朝からオリンピック競技をテレビで見ようとしたが、一時延期となってガッカリ。
しかし、午後からのアルペン競技やアイスホッケーの試合を見て、盛り上がる。

まず、アルペン競技の男子スーパーGでは、Ambrosi Hoffmannが銀メダルを取る。
男子アイスホッケー競技では、強いカナダに2対0と圧勝!
先日の強いチェコにも勝って、スイス・チームは頑張っている。

ちなみに、今回出場している選手の中には、グリンデルワルトのマルティーナ・シルトを始めとして、ベルナ−オーバー
ランド出身の選手がメダルを取っている。
男子滑降競技のBruno Kernenは銅メダル。スケルトンで金メダルを取ったMaya Pedersenは2歳の子供を持つ
おかあさん。
地元選手の活躍に、当然ながら嬉しくなります。
男子スーパーGのアンブロシ・ホフマン 男子滑降のブルーノ・ケルネン スケルトンのマヤ・ペデルセン
2006年02月17日(金) 雪/曇り *** 0935
今日は、天気は曇り。そして、時々雪がチラホラと舞っていた。
もっと、しっかりと降って欲しかったが、残念ながらそんなに大した量ではなかった。

日本のニュースから・・・
『海外ニュース - 2月17日(金)20時29分      【中国】ソニー:TV不具合、掲示板「日本製品を排斥せよ」
  ソニーが、一部の液晶プロジェクションテレビで、「ソフトウェアの不具合により、電源のオン・オフができない症状
がある」
などと発表したことを受けて、中国で波紋が広がっている。新華社はウェブサイト上に掲示板を設置した。
  掲示板の最初の書き込みは16日午前10時56分51秒(日本時間)のもので、17日19時までに、20本の書き込みが
みられる。
掲示板では、今回の「テレビ不具合」に対して、好意的な反応はほとんどみられない。
   「中国製テレビは、安価で品質もすばらしい。外国製品にうつつを抜かすな」といった論調がほとんど。
「中国の全てのマスコミは、この一件を報道しなければならない」という書き込みも見られ、中には「日本製品を断固
として排斥せよ」という過激な呼びかけもある。(編集担当:菅原大輔・如月隼人)
            (サーチナ・中国情報局) - 2月17日20時29分更新』

昔の歴史を見ると、中国の人々が日本を嫌いなのは、理解できる。
しかし、落ち着いてみると、な〜んとなく、戦前の日本と同じような感じを受ける。
つまり、”鬼畜米兵” ”国民皆兵” ”国民一丸となって!”などなど・・・・。
誰が音頭を取っているか知らないが、誰かのスローガンに国民が踊らされているような。。。。。
そして、やがて、開戦・・・と、結び繋がらなければいいのだが・・・・・。
ちょっと、不安である。
2006年02月16日(木) 曇り *** 0934
今朝には雨が降っていた。
あ〜あ、、、である。
路面はツルツルに凍っている。
危ない。

さて、日本のニュースから・・・
『社会ニュース - 2月16日(木)10時42分         <神戸空港>1番機が離陸 関西3空港時代幕開け
   神戸空港(愛称マリンエア)が16日、神戸市のポートアイランド沖に開港した。
午前7時19分、雲の垂れこめる滑走路を満員の乗客を乗せた1番機の羽田行き日本航空ボーイング777が明石
海峡方向に向かって離陸。ミナト神戸に空の玄関が加わり、関西3空港時代が幕を開けた。
   国内空港では97番目、建設、運営とも市が手掛ける初めての空港で、総事業費約3000億円の返済問題など
重荷も背負っての開港となった。
   午前5時50分、搭乗客や関係者でごった返す旅客ターミナルビルの出発ロビーで開港式があり、神戸市の矢田
立郎市長が「ここに神戸空港を開港する」と宣言。
大きなトラブルはなかったが、荷物検査などに時間がかかり、各社の第1便出発が4〜14分遅れた。
  神戸空港は、神戸の中心・三宮の南約8キロの海面を埋め立てた空港島(272ヘクタール)に建設され、2500
メートルの滑走路が東西に延びる。運用時間は午前7時〜午後10時で、地方自治体が運営する3種空港では最長。
日本航空、全日空、スカイマークエアラインズの3社が東京や札幌、沖縄など7路線に27便(往復)を就航させ、
年間約319万人の利用を見込む。
   空港建設計画は1946年の「市復興基本計画要綱」に登場。
73年、騒音問題を抱える大阪(伊丹)空港に替わる神戸沖空港受け入れを神戸市がいったん拒否した後、95年度の
政府予算に着工準備調査費が計上された。95年1月の阪神大震災で「大規模開発より復興」の声が強まり、建設の
是非を住民投票で決めるよう求めた98年の直接請求には約31万人の署名が集まったが、市議会は住民投票条例
案を否決。市と市議会は「建設に市税を投入しない」との条件をつけて建設を進めた。
開港日は、世界の航空関係者に航空路を知らせる航空路誌(AIP)の発行日に合わせた。        【大川泰弘】
            (毎日新聞) - 2月16日10時42分更新』

とのこと。
伊丹空港、関西空港、名古屋空港と、狭い地域にこんなに沢山の空港が出来て、本当にやっていけるのだろうか?
また、そんなに必要性があるのだろうか? と、思う。
もちろん、神戸地域に住む住民にとっては、近くに空港があるのは便利だというのは、分かる。
しかし、、、だ。
鉄道駅と違って、空港を利用する顧客は、そんなに数は居ないだろう。
利用する航空会社がその空港に発着している場合は、仕方なく利用せざるを得ないが、その空港に乗り入れていない
場合は、その空港を利用する必要はない。
航空会社だって、公共の交通機関とはいえ、鉄道とは違う。
利用者が少なくなり、採算が合わなくなったら、すぐに路線から撤退する。
すると、空港に離着陸する航空会社が少なくなり、結局は空港だけが残ってしまう。
そんな風に神戸空港もならなければいいが、、、と、思う。。。。。。
2006年02月15日(水) 曇り/雪 *** 0933
今日の天気は、曇り。
午後から雪降り天気になってしまった。

さて、午後12時からのオリンピックでは、地元グリンデルワルトの「マルティーナ・シルト」(24歳)の滑りにグリンデル
ワルトはもとより、スイス中の目がテレビに釘付けになっていた。
スタート番号26番。
すでに、他のスイス選手たちは滑り終わっており、1位に居たスイス選手もすでに後方に順番が下がっていた。
そして、オーストリアの選手が現在1位。

「マルティーナ・シルト」は、スタート後遅いタイムであったのだが、100分の26秒から、100分の37秒にタイムを落と
したものの、1分56秒36のタイムで2位に入った。
その後の残りの4人の選手たちは、この「マルティーナ・シルト」のタイムよりも早く滑る事が出来なかった。
かくして、グリンデルワルトの「マルティーナ・シルト」は、銀メダルを獲得したのである!
もう、グリンデルワルトでは、各所で歓声が上がっていた。

おばあちゃんが金メダル。孫娘が銀メダル。
大したものだ。。。。。。

ニュースより・・・
『ドルフマイスター、悲願の金=女子滑降〔五輪アルペン〕     2006年2月15日(水) 22時33分 時事通信
  アルペンスキーは15日、女子滑降を行い、ミヒャエラ・ドルフマイスター(オーストリア)が1分56秒49で初優勝、
悲願の五輪金メダルを獲得した。
オーストリア勢の女子滑降制覇は、1980年レークプラシッド大会以来、7大会ぶり。
   伏兵のマルティナ・シルト(スイス)が0秒37差で銀メダル、実力者のアーニャ・パーション(スウェーデン)がトップ
から0秒64差で銅メダル。
優勝候補だったヤニツァ・コステリッツ(クロアチア)は不整脈のためレース前に棄権。
日本勢は出場していない。 (時事)      [ 2月15日 22時33分 更新 ] 』
スタート ゴール 表彰式(左がマルティーナ・シルト)
2006年02月14日(火) 晴れ *** 0932
今日も天気は、晴れ。
すがすがしい、気持ちのよい晴天である。

スイスやドイツのスキー休暇が始まっており、スキーヤーやスノーボーダーの姿が多い。
おやじは、なかなかスキーにもスノーボードにも行っていないので、ゲレンデの様子は分からないが、しかし、この晴天
と、低い気温にきっとどのゲレンデも条件はいいだろう。。。と思う。

さて、スイスのニュースから・・・
『チューリッヒ空港の荷物輸送における高い確実性 (Tue. 07.02.06 Smi)
 チューリッヒ空港(ユニーク空港チューリッヒ)の報告によれば、チューリッヒ空港は、ヨーロッパのハブ空港の中で、
荷物の輸送における確実性がもっとも高い。
ロンドン・ヒースロー空港、フランクフルト・アム・マイン、アムステルダム、パリ、ミュンヘン、ウィーンなどに比べて、
昨年チューリッヒ空港では荷物輸送に関する問題がもっとも少なかった。
チューリッヒでは出発客の荷物、1,000個あたり間違ったり、遅れて輸送された荷物は11個のみであった』だ、そうだ。
チューリッヒ空港のHPは、
http://www.zurich-airport.com/
2006年02月13日(月) 晴れ *** 0931
3週間ぶりのグリンデルワルトの朝。
気持ちがいい。。。。。
天気は、快晴。
すがすがしい。
やっぱ、グリンデルワルトがサイコーですわ!(笑)

今日は、また3週間ぶりのお休み。
朝はゆっくりと起きて、お昼のテレビでオリンピックを見る。
丁度、女子滑降競技の予選が行なわれており、ナ。ナ。ナント、グリンデルワルト出身の「マルティーナ・シルト」(24歳)
が、1分55秒52の好タイムで、予選を1位で通過した!
先日のサン・モリッツのワールドカップで5位に入り、やっとオリンピック行きのチケットを手にしたシルト。
まさかまさかの予選1位通過である。
あとは、水曜日の決勝でぜひともメダルを狙って欲しい!

ちなみに「マルティーナ・シルト」は、グリンデルワルトの「カウフマン・スポーツ店」の娘で、父親はスイス・スキーチーム
のトレーナー、母親はスキー教師。
そして、おばあちゃんは、「第5回 サン・モリッツ・オリンピック」(1948年)の滑降競技の金メダリストである!
やっぱり、血筋は争えませんね〜〜〜〜、納得。

「マルティーナ・シルト」のスイステレビ局のHP、
http://www.sf.tv/sfsport/artikel.php?catid=sportolympischespieletorinoartikel&docid=20060213_02
日本オリンピック委員会のHP、
http://www.joc.or.jp/index.asp
2006年02月12日(日) 晴れ *** 0930
今日の天気も、快晴。
しかし、めっちゃ寒い朝だった。
天気予報では、最低気温が「マイナス22度」だという。。。。

朝からサン・モリッツ近くの宿を出発し、一路チューリッヒ空港に向う。
そして、取材班のチェックインを行ない、午後0時に終了する。
その後、懐かしのグリンデルワルトに戻ってくる。
天気は、晴れ!
アイガー北壁が出迎えてくれた!

ところで、長男に税務署から「納税の知らせ」が届いた。
長男は、16歳であり、まだ9年生(中学3年生)である。
しかし、すでに16歳でもある。

もちろん、まだ仕事はしていない。学生であるが、それでも「納税の手続き」をしなければならない。
そう、、、、、スイスでは”16歳から 立派な一人前”なのである。
学校に行きながらどこかの会社などに入って研修して、収入のある者も居る。
収入が無い者には、貯金にも課税されるという!
子供の口座がある銀行からは「お得な納税について・・・」のような案内書も届いた。
”スイスって、本当に、凄い国ですね〜〜〜!”
マイエンフェルトの村 高速道路と雪山
2006年02月11日(土) 晴れ *** 0929
今日の天気は、快晴。
今までで最も良い天気である。
しかも、風もない。

サン・モリッツの街中を撮影し、ケーブルカーの「コルヴィリア」駅に行く。
昨日と同じハングライダー「Air Taxi」で飛ぶ撮影を行なう。
今日は、風もなく快晴で、素晴らしい天気の元、良い撮影が出来たようだ。
(出発シーンを撮り、到着シーンを撮る)

その後、「ムオタス・ムライユ」のケーブルカーで山頂へ行く。
昨日「そり」で滑った同じコースを滑りながら撮影するが、昨日は風も強くて寒かったのだが、今日は暖かった。
そして、午後4時30分ごろ、全ての撮影を終了した。
17日間の撮影の終了である。

なお、ここまでの「つぶやき」は、サン・モリッツ近郊のホテルに宿泊したのだが、電話回線がうまく繋がらず、毎日の
更新をすることができなかった。お許しを。。。。
カーリングに講じる中年の人々 ハングライダーの離陸 到着後の記念撮影
2006年02月10日(金) 晴れ *** 0928
今日の天気も、晴れ。
しかし、風が強く、雲の動きも早い。

昨日、レストランを撮影したケーブルカーの「コルヴィリア」駅に行く。
ここで、ハングライダーによる「Air Taxi」を撮影するためである。
このハングライダーの教師(?)は、スイスでも指折りの人だそうで、世界選手権大会でも優勝したそうだ。
しかし、風がなかなか止まず、更には、強くなりそうなので、ハングライダーの撮影を明日に延期して、「ムオタス・
ムライユ」のケーブルカーで山頂へ。
ここには「そり」専用のコース(4.5km)があるので、その「そりコース」を滑る撮影を行なう。
観光局の女性にモデルになって貰った。
そして、サン・モリッツ市内の撮影などを行なう。

ところで、「トリノ・オリンピック」の開会式の模様を、ライブで見た。
夏に比べて参加国数が少ないのは仕方ないが、とうてい「雪」や「冬」に縁のない国々も参加しているのがいい。
たとえ、1名でも参加しているのはよいと思う。

そして、さすがイタリア。
真っ赤な「フェラーリー」を会場内で走らせたり、聖火の点灯にも凝っていて、なかなか演出が良いと思う。
オノ・ヨーコのスピーチはともかくとして、ジョン・レノンの「イマジン」は、今の世界を象徴しているように思う。
凍ったサン・モリッツ湖上での撮影 「ムオタス・ムライユ」山頂駅から 「そり」中の記念撮影
2006年02月09日(木) 晴れ/曇り *** 0927
今日の天気は、晴れ。
サン・モリッツからピッツ・ネイル方向のケーブルカーに乗り、中間駅の「コルヴィリア」にある有名なレストランの取材
を行なう。
サン・モリッツでも指折りのレストランだそうで、経営者は、有名な料理人だそうだ。
目の前はスキー場。しかもスキーシーズン中であるから、お昼からは顧客で賑わうとのこと。
午前中に店内の撮影を。お昼から料理方法の撮影などを行なう。

店自体はサン・モリッツ町(市)の所有だそうで、いわゆる管理を任されているわけだが、店の入り口には今までの
料理コンテストなどで受賞した証書や楯などが並び、ショーウィンドウには、オリジナルのポロシャツが130フラン
(約12、000円)で売られていた!

この店のお薦めはキャビアとトリュフだそうで、ティー・スプーン1杯のキャビアのお値段は80フラン(約7,200円)
である!
経営者は、ちょっと現れて「ハロー」と握手しただけで、その後の会話もなく、そのまま会議とかで街中へ下りて
しまった。
変わりに「料理長」という若い男性が、お昼時の一番忙しい時間にも関わらず、嫌な顔もせずにニコニコと料理を
作ってくれた。
有名人だから忙しいのかもしれないが、実際には料理はせずに、マネージメントをやっているそうで。
でもね〜。。。。。。。。

お昼時になると、さすが、というかなんというか、一見でも金持ちそうな中年男女、数人のグループが次々にやって
来ては、予約している景色の良く見える席に案内されていた。
店内ではピアノの生演奏が響き、目の前のスキー場や雄大なアルプスの景色を見ながらゆったりと食事していた。
(お客は、スキー客だけではなく、食事だけを楽しみに来る客も居る。そのあたりが日本のスキー場と大きく違う
ところである)
昨日取材したレストランのオーナーと出会った。聞くと、
「お客様を連れてスキーにやって来たんだ」と。
(2日前と比べると、随分と親しくなっていた? 苦笑・・・)

午後からゆっくりと天気が崩れ始めていた。
途中駅からサン・モリッツを スキー場とロープウェイ サン・モリッツの夜景
2006年02月08日(水) 曇り *** 0926
朝から観光局のスタッフとの打ち合わせを行ない、その後ポントレジーナにある5つ星ホテル「クロナーホフ」の取材
を行なう。ディレクター曰く「今週だけが暇で、今週末からスポーツ休暇=スキー休暇で、忙しくなるんだ」とのこと
だった。屋外のスケートリンクなどの撮影も行なう。

午後には、昨夜夕食を食べに行って、目が点になったレストラン「Talvo=タルボ」へ取材に行く。
(ゴミョー18ポイント/ミッシェラン2つ星)
昨日は、余り協力的でなかった(?)レストラン・オーナーも、今日は付っきりで協力的にやってくれた。

特に、昨夜たまたま我々の夕食時に居たお客の中年カップルが、我々の全ての行動や話しを聞いていて、おやじに
話しかけてきた。
「どこのテレビ局なんですか?」
「日本の東京ですよ」
「どうしてあなたはドイツ語が話せるんですか?」
「グリンデルワルトに住んでいるんです」
「グリンデルワルト? じゃ、ベルン州立銀行の建物にあなたの事務所はあるのですか?」
「そうですよ」
すると、
「私は、ベルン州立銀行の頭取です」とのこと。
「そうですか! グリンデルワルト支店の○○支店長にはお世話になっているんですよ」と言うと、
「あなたのことは知っています。この前グリンデルワルトに行ったときに、あなたの奥さんと会いました」とのこと。
世間は狭い。
そこで、レストランのオーナーも、今日は態度が変わっていたようだ。
「昨夜のお客様は、ベルン州立銀行の頭取で、あなたのことは聞きましたよ!」
「昔、ベルンで働いている頃、よくグリンデルワルトにはスキーに行きましたよ!」って。

しかも、色々とオーナーの経歴を聞いていると、若い頃にベルンの5つ星「ホテル・ベルビューパレス」の料理長でも
あり、チューリッヒの5つ星「ドルダー・グランド・ホテル」の料理長でもあったとのこと。
そこで、
「先々週、我々はベルビュー・パレスに宿泊して取材していましたよ!」といい、
また、これもたまたま偶然だが、
「今朝、ポンントレジーナのホテル・クロナーホフを取材したときに、ホテルのディレクターが、やはりドルダー・グラン
ド・ホテルで働いていたと聞きましたよ」というと、
「彼と私は同じ時期に働いていたんだ。彼は、ディレクターで、私は料理長だった」とのこと。
やはり、世間は狭い。。。。。。

最後には、シャンペンを1本空けてくれて、我々に飲ませてくれた。。。。(苦笑)
ホテル・クロナーホフのアイスリンク レストラン「タルボ」 オーナーとの記念撮影
2006年02月07日(火) 晴れ *** 0925
朝の07時から「朝風呂」に入り(一番だった!)、朝食をしっかりと取り、「ホテル・テルメ・バルス」の建築家が設計
した部屋を撮る。
そして、午前09時30分にホテルを出発し、Laax(ラークス)にあるデザイン・ホテルの撮影をする。
このホテルは冬だけの営業で、宿泊客のほとんどが若いスキーヤーか、スノーボーダーである。
地下には、なんと!1400人収容のディスコがあるという!

やがて、クール、クロスター経由(最近開通したバイパスを通るので、実際には通過しないのだが)で、カートレイン
に乗車し、今夜からの宿泊地である「Zuoz」へ。
サン・モリッツの取材なので、本当はサン・モリッツでの宿泊が良いのだが、スキーシーズン真っ盛りで、サン・モリ
ッツのホテルが取れなかったのだという。(サン・モリッツから車で約30分の場所である)

さて、明日に取材する高級レストランに下見兼夕食に行く。(前もって、予約はしてあったのだが)
いざ、座ってメニューを見て、目が点になった。
前菜が80フラン(約7、200円)、スープが70フラン(約6、300円)、メイン・ディッシュが130フラン〜
(約11、700円〜)、デザートが50フラン(約4、500円)。
もちろん、1人前の料金である。
ワインは、最低でも80フラン(7、200円)からで、最高の物は3200フラン(約288、000円)だった!(苦笑)

結局、色々と工夫して食べました。ハイ(苦笑)
ラークスのホテル・ロビー 近代的なスィート・ルーム ラークスのスキー場
2006年02月06日(月) うす曇/雪/晴れ *** 0924
午前04時30分起床。
朝食はボックスで、05時30分にルガーノのホテルを出発。
サン・ベルナルディーノ・トンネルを抜けて行く。
トンネルを抜けると、雪降り天気だった。
そして、約3時間30分後の、午前09時にヴァルス(Vals)の「ホテル・テルメ・バルス」に到着。
ここで観光局の女性と出会い、撮影ポイントを案内してもらう。

その後、メインである「テルメ・ヴァルス」の館内や温泉施設などを撮影する。
温泉プールの室内にいると、めちゃめちゃ暑い。
客はみんな泳いだり、浸かったりしているが、我々は服を着たまま。めちゃ暑い!
結局、おやじは、服を着たまま約4時間の間、プールサイド(室内)に居たことになる。
いやはや、疲れました!(苦笑)

昨年の夏にお客様をご案内して来て以来だが、ホテルの宿泊客数は、昨年の時が多かったように思う。
ヴァルスの全景 「ホテル・テルメ・バルス」 温泉=プール内で撮影中
2006年02月05日(日) うす曇/晴れ *** 0923
今日のルガーノは、朝から曇り空だった。
徐々に晴れ間も見えてきたが、気温は低かった。

午前中は、ルガーノやルガーノ湖を見下ろす展望地の「モンテ・ブレ」と、その村に行く。
この村には、多くの芸術家の作品が家々に展示しているという。
そして、ここに住む芸術家を訪ねた。

午後には、ルガーノ北部の小さな村にあるスイス人建築家「ピーター・マークリ」が作った「彫刻の家」を取材する。
ここは、近くのレストランで鍵を借りて、記帳してから「彫刻の家」を見に行くという、ちょっと風変わりなシステムに
なっている。
鍵を借りるレストランでの撮影も終了し、ルガーノでの取材を終了する。
5日間お世話になったガイドのおじいさんともこれでおしまいである。

イタリア語圏の取材では、明るいイタリア人気質のお陰で、楽しく取材が出来た。
最初は、警戒する顔も、相手が日本人とか、テレビの取材だと分かると、途端に明るく、人なつっこくなるし、協力的
にやってくれる。
ただ、たまには「余計なおせっかい」ほどしてくれる場合もあるが。。。(苦笑)

ホテル出発は、午前08時15分。帰着は、午後09時00分だった。
「モンテ・ブレ」の展望台から 「モンテ・ブレ」の展望台にて 「彫刻の家」
2006年02月04日(土) 晴れ *** 0922
今日のルガーノも、青空だ。
しかし、気温が少し低いようだ。

午前中には、ルガーノ市内の町の様子などを撮影し、今回ルガーノでガイドしてくれているおじいさん(ロメオさん)
にも出演してもらった。
午後には、ベリンツォーナにある世界遺産の「カステルグランデ」内にあるレストランと市内の撮影を行なう。

ホテル出発は午前08時15分。帰着は午後10時00分。
ガイドのロメオ氏(70歳) ベリンツォーナの市内を望む カステルグランデ
2006年02月03日(金) 晴れ *** 0921
今日のルガーノも、青空だ。

午前中には、ルガーノから約30分ほど走った山の中にある「プチホテル」の取材を行なう。
正直言って、な〜〜〜んもない、小さな「カローナ」村の小さな「プチホテル」(18室あり)なのに、常連さんや日本
からの宿泊客も来るという。。。。。

午後には、ルガーノから約2時間ほど走るこれも山の中にある「モーニョ」という小さな村に、ティチーノ生まれの
建築家「マリオ・ボッタ」が作った石造りの「サン・ジョヴァンニ」教会を取材する。
帰りにベリンツォーナの世界遺産である「カステルグランデ」などの夜景を撮る。

ところで、教会でスイスのドイツ語圏から休暇で来たスイス人に取材した。
若いカップルと小さな子供の3人連れなのだが。
そのご主人が、
「休暇でモルジブに行ったとき、隣りのテーブルが日本人夫婦だった。
 毎日食事で隣同士になるのだが、そのうち日本語を教えてもらったり、ドイツ語を教えたりして仲良くなり、最後に
 朝早く出発した日本人夫婦が、日本の住所を書き残し、そこには”日本に来たら尋ねて欲しい”と書いてあった。
 日本人は親切で、優しい人たちだ」と言う。

確かに、日本人はやさしく、丁寧で、人情深く、親切な人々だと、おやじも思う。
そういう、良い面をもっともっと残して欲しいとも、思う。
(最近、日本では嫌な事件が多いので・・・・・・)
「プチ・ホテル」(右手の建物) 「サン・ジョヴァンニ」教会 「カステルグランデ」などの夜景
2006年02月02日(木) 晴れ *** 0920
今日のルガーノも、雲ひとつない、青空である。

午前中は、有名な(?)ホーエンツォレルン家のルオポルド王子の邸宅を改良したホテル・プリンチペ・レオポルド
(5つ★)での撮影を行なう。
さすが、王子の邸宅だけあって部屋は豪華だし、その分料金も高い(苦笑)。

午後には、市内にあるモダンなレストラン(ゴミョーの13ポイント)を取材し、夜の7時30分からはグロッティの取材を
行ない、終了したのが午後10時30分。夕食を取って、ホテルに戻って来たのが午後11時30分だった。
ホテルの玄関 部屋から見たルガーノ方向 グロッティでの夕食
2006年02月01日(水) 晴れ *** 0919
ルガーノ初日の朝。
晴天。雲ひとつない。青空である。

午前中は、ルガーノ湖の定期船に乗る。
午前08時30分 ルガーノ発の船で、途中のメリーデで下船する。
その後、一旦街中に戻り、街中の撮影をする。

午後には、「グロッテ」を探して、そして撮影する。
山手にある「グロッテ」では、今日からオープンという店が多かった。
午後4時30分に始まった「グロッテ」の撮影が終わったのが、午後9時00分だった!
朝焼けのルガーノ 駅前からの景色 旧市街にて