おやじの つぶやき

グリンデルワルトに住む、安東一郎=おやじ が、特にテーマもなく、毎日の変化、
行動、思い=気持ち、その他を とりとめなく、つぶやくコーナーです。
多少、個人的、傾斜的、一方的、一面的、勝手気ままに書いていますが、お許しを。
この「おやじの つぶやき」についてのご意見がありましたら、「ここ」へ.。
ご批判、激励、賛同、反対、その他、なんでもOKです。
(但し、匿名のメールは無視しますので、お名前をちゃんと書いて来てくださいね)

また、「写真クイズ」などの回答は
「ここ」へ回答をお送りください。
なお、「写真」をクリックして頂くと、写真が御覧頂けます。
「おやじのつぶやき」(2004年02月分) 「おやじのつぶやき」 表紙 「おやじのつぶやき」(2004年04月分)

2004年03月31日(水) 天気は 晴れ *** 0295
今日も朝から暑くなりそうな、そんな良い天気だ。

「地球の歩き方」掲示板に面白い質問があった。
飛行機の発着時刻というのは正確には、何をさしているのでしょう?
1 ドアの開閉の時間
2 Take off / Touch down
3 そのほかの基準がある。
ご存知の方、教えてください。


おやじも知らない。
多分、ドアーが閉まった時間かな〜。。。と思った。そしたら、ちゃんと回答があるんだね〜。

『航空実用事典   ブロック・タイム(block time):
航空機が動き出し(ランプ・アウト)てから,次の目的地に着陸して停止(ランプ・イン)するまでの時間。
牽引車に押されてスポットから動き出す場合の時間も,ブロック・タイムに含まれる。
時刻表の出発時刻から到着時刻までの時間がブロック・タイムの予定値である。』

ということで、つまり、飛行機が動き始めた瞬間と、目的地で停車する時間をいうそうだ。
http://www.jalcard.co.jp/column/knowledge/agora36.html
なるほどね・・・・・。勉強になりますね。この掲示板。
(中には、つまらん質問する人も多いけどね。。。。笑)
2004年03月30日(火) 天気は 晴れ *** 0294
今日も朝から良い天気。暖かくなりそうな、そんな天気だ。

ところで、先日03月22日の「つぶやき」に「バカボン」のことを書いたのだが、つぶやきファンの方から次のようなメールを
頂きました。
『「おやじのつぶやき」・・・いつも楽しく拝見させていただいてます。
  ところで「バカボン」の意味ですが。下記HPアドレスにて発見いたしました。
  仏教用語からきているようです。(ホント?)
 でも赤塚不二夫氏の絵馬もありますから信憑性は高いのでは・・・。
  いずれにしましても我々の世代では、懐かしい思い出ですネ。
 また、楽しい「つぶやき」を待っています。』
 http://www.tctv.ne.jp/members/tobifudo/infome/seven/fune/bakabon.html

う〜ん。。。。。。仏教用語だとは。。。。。しかも、サンスクリット語だとは。。。。
ちなみに、その赤塚不二夫(作者)ご本人に真意を確かめようと、メールを送ったのだが、すでに1週間。返事はない・・・(笑)
2004年03月28日(日) 天気は 晴れ 写真 0293
今日から、スイスを始め西ヨーロッパでは「夏時間」となった。
午前2時になると、1時間時計の針を進めるのだ。ということは、いつもよりも1時間も早く起きなければならない。。。辛い。
毎年03月最終日曜日〜10月最終日曜日までは「夏時間」、10月〜03月までは「冬時間」となる。
(ちなみに、冬時間では、時計の針を1時間遅くする)

今日は、フィルストのスキー場で「プール・レース」という催し物があるので、家族で見に行く。
フィルストの1つ下の駅「シュレックフェルド」で行なわれる。
簡単に言うと「プールの水面をスキーや、スノーボードなどで滑る競技」である。
今回で5回目。年々盛んになっている。

12時より1回目のレース開始。
40名ほどの参加者が、思い思いの衣装を着て、スキーやスノーボードなどで、滑ってゆく。
ある程度スピードに乗って、後傾で滑れば、クリアできるのだが、中には途中で止まって沈んでゆく者もいる。
天気は良くて、周りで見ているほうは、もうスキーウェアーなど着ていると汗だく状態だが、さすがに水温は5度とのこと。
水の中は冷たい。(身体を温めるためのジャグジーが用意されている)
また、沈む参加者を助ける係員が2名いる。

無事にクリアした者。沈んだものの観客の声援でOKになった者が、2回目にチャレンジ。
2回目は、多少趣向を凝らして、「仮面をつけたり」「小道具を使ったり」。あるいは「お尻を出して」滑ったり。。。
そして、ファイナルは、「いかに大げさに、大胆に、観客にアピールしながら水の中に落ちるか」がテーマとなっている。
空中2回転、横転、頭から突っ込むなどなど、全員が水の中へ。。。。。
個人競技のあとには、チーム競技もあって、面白いレースだった。
そして、1位〜3位は表彰され、その他のメンバーには参加賞が渡された。

まあ、参加者は殆どが10代〜20代だが、中には40代くらいのおじさんたちも居た。
私が、「来年、出ようかな〜?」とつぶやくと、家族は、
「出たら〜〜〜」と、口だけの軽る〜い返事だった。(笑)
2004年03月27日(土) 天気は 晴れ 写真 0292
今朝8時30分のグリンデルワルトの気温は、0度。天気は快晴。素晴らしく良い天気になりそうだ。

午前09時50分の登山電車に乗ってクライネ・シャイデックへと上がった。
今日は、クライネ・シャイデックのラウバーホルン・コースにて、スキーのワールドカップのスポンサーたちのスキーレースが
行なわれる日である。
ラウバーホルン・レースは、毎年01月中旬に行なわれるスキーのワールドカップ「男子滑降競技」で、いわゆる「ヴェンゲン・
ラウバーホルン・レース」といい、世界中で開かれるワールドカップの中でも伝統と歴史のあるコースです。
(今年は、2004年01月17日+18日に開かれる予定でしたが、濃霧のために滑降競技は中止となり、翌日の回転競技は
開かれました。今年は、74回目の大会でした)

地元のスイス人は勿論ですが、スイス各地からやドイツ人、イギリス人、アメリカ人などの参加もありますが、日本人は
おやじと長男の2名だけでした。
昨年は、おやじと長女とで参加したのですが、今年は長女はグリンデルワルト・スキークラブ設立50周年記念スキーレース
に参加するため、こちらの方には、長男が初参加でした。

標高2315mの高い場所ですが、太陽が出てくると、もう暑くて、暑くて。。。。。
春のスキー場ですね。もう。

参加申し込み時点で生まれ年を記入するので、年齢別でスタートします。また、年齢、男女別での表彰もされます。
今回の最年少参加は、9歳の女の子。最年長参加の女性は63歳で、男性は83歳でした。
もちろん、皆さん現役スキーヤーですよ!
参加した男性は70名。女性は28名。スタートしたけどゴールしなかったのが3人で、101人の参加でした。

レース後、場所をクライネ・シャイデックのホテル・ベルビューに移し、ここで昼食と表彰式。
各カテゴリー別に上位3名のみの入賞となるので、おやじも長男も、な〜んもありませんでした。(笑)
参加賞のメダルだけがもらえます。
(実は、おやじは密かに収集しており、今回の参加が7回目なので7個のメダルを持ってます。。。。。笑)

参加者はもちろんスキー専門です。スノーボーダーは、ななななんと、おやじと長男の2名だけでした。。。。
唯一の日本人で、唯一のスノーボーダー(親子)でした。(笑)
気持ちの良いスノーボードでしたが、日頃の運動不足であるおやじは、3本新雪を滑っただけで、もう足が痛くなって
ギブアップでした。呼吸もハーハーゼーゼー・・・・と、情けないですね。。。。
帰りは、クライネ・シャイデックから登山電車に乗ってラクして帰ってきました。。。。(笑)

ところで、この「ワールドカップ・スポンサー」には、誰でもなれます。
あなた! も 、なれます。。。。。
参加費を払えば、まず
1)大会日(2〜3日間)の無料スキーパス(リフト券)、ワールドカップのバッジがもらえます。
2)大会日(2〜3日間)のゴールでの「VIP席」に入れます。
3)スポンサー・レース(毎年今頃)に無料で参加できますし、参加メダルがもらえます。
  もちろん、当日の無料スキーパス(リフト券)も、もらえます。
来年、ぜひおやじと一緒に「スポンサー・レース」に参加しませんか!?
来年は、75回目の記念大会で、01月14日(金)〜16日(土)に行なわれます。
詳しくは、
http://www.jibswiss.com/ski-2004-06-worldcup.html
2004年03月26日(金) 天気は 小雪 *** 0291
今日も朝から小雪がちらつく、そんな一日だった。
でも、気温は高いので、道路の雪は溶けている。

今夜、長男の所属するアイスホッケーの最終試合がグリンデルワルトのスポーツセンターで行なわれた。
正確に言うと、シーズンのトーナメントはすでに終了しており、今夜は「親善友好試合」のようなものだそうだ。
長男の所属するチームは、現在「ノビッツァ」といい、1988年〜89年生まれの子供がプレイできるチームである。
現在のチームは、ベルン州でも強く、ほとんどの試合に勝っていて、トーナメントでは優勝している。
来年は、ひとつ上のリーグに上がるそうだ。

長男は1989年生まれなので、チーム内では年下であり、メンバーの多くが1988年生まれである。
子供の1年は大きく違い、体格も、スピードも、そして体当たりも凄い。
同じ生まれ年の子供でも、大きな子供もいれば、小さな子供もいる。長男は小さいほうである。

昨年までは1つ下の「モスキート」でプレイしており、年齢が年上だったので、チームでは得点王に輝いたが、今年はチーム
内でも無得点だった。
チーム内で、一度も得点をしていないのは、長男だけだった。
勿論、本人も一番に気にしており、親も「せめて1点くらいは」と希望するのだが、長男曰く「そんなに簡単に得点できない
んだよ・・・・」とのこと。(まあ、そうだろう・・・・)

今夜の「親善友好試合」の相手は、ベルン近くのブルグドルフのチームである。
試合のほうは、ベルン州でもトップのわが長男チームは、13対1で、圧勝した。
でも、わが長男は、やはり「無得点」で終わった。
今年のシーズンが終わった。。。。。。

試合終了後、相手チームとの挨拶が終わって、地元応援団への感謝の挨拶(といっても、応援に来ていたのは、地元とは
いえ、親のみで僅かに8人ほどだったが)、をし、我々が、「さあ、帰ろう。。。」としていたら、我がチームのメンバーが、
我が長男にパックを渡し、ゴールに入れろ!と合図する。
チームメイトが、敵になり、味方になり、そしてゴールキーパーになっていた。
長男は、パックを一人でトスしながらゴールに向かって滑って(走って)ゆく。
まるで、ペナルティ・シュートのように、チームメイトが両側に立ち、花道を作り、長男のシュートを見守る。
そして、長男のシュート!!
見事に、パックがゴールの中に吸い込まれてゆく。
長男が「初ゴール」を入れた瞬間である。。。。
チームメイトがみんな、長男に向かって走り寄り、祝福に抱きつく。その輪が大きくなる。
喜びの声を上げるチームメイトたち。。。。。
見ていた親たちも、監督も、そしてチームメイトたちも喜んでいた。
戻ってきた長男にチームの監督が、「IKKO おめでとう!」と肩をたたく。
見ていたおやじは、とても嬉しかった。。。。。。。

きっと、長男が知らないうちに、チームメイトたちが話し合っていたのだろう。
「もし、今夜IKKOが試合でゴールできなかったら、あとで、みんなでゴールさせてやろうぜ!」って。。。。。
でないと、あの準備のよさは出来なかっただろう。。。。。。

自宅へ戻ってきた長男は、うれし泣きをする。
我が家も、「初ゴール」の祝杯をあげる。

長男のチームの中には、意地悪をする子供もいる。
長男は、今まで嫌な目にもあってきた。でも、今夜、きっと長男はそれらを全て忘れただろう。。。。。
親も「いいチームメイトに囲まれて、良かったね」と、素直に言った。
来年は長男は、チームの年上になる。(年上の子供たちは、上のクラスにあがり、年下の子供たちが下のクラスから
上がってくる)
もちろん、アイスホッケーをがんばると、言う。
来年は、多少なりとも得点をしてくれるだろう。

今夜のおやじはまるで、「巨人の星」の一徹親父のように、遠くから子供を見て、目にウルルンの涙を溜めたのであった。
2004年03月25日(木) 天気は 雪 *** 0290
グリンデルワルトは、ついに冬景色に戻ってしまった。
あたり一面、真っ白。積雪の量は村の中で約20〜30cmくらい。
天気予報では週末は良くなるらしいので、また週末はスキーヤーで込むだろうなぁ〜。。。。。

さて、冒険家の大場満郎氏(過去に単独徒歩による、北極及び南極の横断を成功した方)が、今度は「地球縦回り一周の
旅」に出るそうです。
期間は、2004年の4月から6年間にかけて、2010年の4月までだそうです。
いいですね〜。私も冒険をしたいなぁ〜。
http://www.global-edventure.net/about/ja/intro.html

マッキンリーで亡くなった植村直己さん。
フランスのシャモニーに長くいたそうだ。本も読んだし、映画も見た。
一度、会っておきたかった人だ。残念だ。
http://www.uemura-museum-tokyo.jp/
http://www2.nkansai.ne.jp/uemura/

私も、若い頃、そうロンドンに住んでいた19歳の頃、「サハラ砂漠」を横断しようと思った事があった。
当時、このサハラ砂漠横断中に亡くなった青年、上温湯 隆(かみおんゆ たかし)さんは当時23歳だった。
サハラ砂漠7000kmの単独横断に挑んだのだが、3000km地点でラクダが衰弱死する。
再び、新たなラクダを入手し、前回ラクダが死んだ場所から再スタートするが、今度はラクダが居なくなり、彼は渇死した。
青年が書き残した日記を元に書かれた本。「サハラに死す」を、私はロンドンで読んだ。
ものすごく、この青年の行動に感動した。そして、サハラ砂漠を見たくなって、無性にサハラ砂漠へ行きたくなった。
でも、出来なかった。。。。。行動力がなかったのである。

もし行っていれば、その後の私の人生は変わっていたであろう。
スイスにも来なかっただろうし、グリンデルワルトにも住まなかっただろう。
日本語観光案内所もやっていなかっただろうし、今こうして「おやじのつぶやき」を書いてもいなかっただろう。。。。
ロンドンで「サハラに死す」を読んでいた19歳の青年は、もうすぐ50歳になろうとしている。。。(苦笑)
http://tanizoko2.hp.infoseek.co.jp/kamionnyu_takasi.html
2004年03月24日(水) 天気は 雪 写真 0289
数日前までは「暖かい」と言っていたのに、またまた今日は朝からず〜と、雪降りの1日だった。
お陰で、また村の中は真っ白になってしまった。。。。(写真参照)
ただ、気温は高いのだろう、道路には積もらないし、氷柱を作るはずの水は、ただの噴水となっている。

ところで、我が家の子供たちは急に日本語を勉強し始めた。
日本語といっても、文字の練習である。
長男は、昔「ポケモン」の漫画を読みたくて、「ひらがな」と「カタカナ」を祖父から教わった。
しかし、長女は無関心だった。

最近は、長男は日本の歌をもっと歌いたくて「漢字」を覚えようとしている。(好きなのは”175ライダー”である)
HNK紅白歌合戦のビデオでも、カラオケで歌う場合も、テレビ画面に出てくる漢字が読めないと悔しいらしい。
今までは、仕方なく何度もCDを聞いては、頭で丸暗記していたようだ。
が、最近になって、漢字を覚えたくなったようだ。
ただ、今までほとんどやっていないので、今覚える漢字は小学1年生のレベルではあるが。。。。。

日本語に無関心だった長女は、長男の姿に影響されてか、同じように「ひらがな」を覚え始めた。
長女も、やはり日本の歌を歌うときに必要になってくるようだ。(好きなのは”SMAP”らしい)

子供たちは、こちらの学校でドイツ語、フランス語、そして英語を勉強しているが、どれもアルファベットが基本である。
名前ひとつとっても、アルファベットだと「IKKO」と「NIKO」でおしまい。他には、ない。
だから、書くのはまあ簡単だ。
しかも、A〜Zの26文字+いくつかの特殊文字だけだから、合計してもせいぜい35〜40文字くらいだろう。。。。

だが、これが日本語となると、「いっこう」「にこ」。「イッコウ」「ニコ」。そして「一康」と「仁子」と3種類もの文字があるわけだ。
当て字にすれば、もっと多くの漢字が出てくる。
さらに書く順番がある。
私も、日本の学校で否応なしに覚えさせられた「書き順」は、おやじになった今でも、頭で考えなくても指が自然と書いて
いる。これはエライ!(笑)
しかし、全くそれを習っていない我が家の子供たちの場合は、それこそ「デタラメ」である。(笑)
これをちゃんと順番どおりに書ける様に、子供たちに教えねばならない。これが、親の勤めである。

でも、「覚えよう」「勉強しよう」という目的があることは、いいことだ。
三日坊主で飽きないで、ちゃんとやってくれることを期待するばかりである。。。。。
『好きこそ物の上手(じょうず)なれ』である。。。。。

日本語の50音にはひらがなと、カタカナが合計で優に100文字、そして、それにプラス濁点と半濁点がある。
さらに、漢字の数は一体いくつあるのだろうか?
これに、アルファベットを組み合わせながら、文字を書いたり、読んだり、話しをしたり。。。。
日本人は、なんて賢いのだろう。。。。。と、感心する次第である。
2004年03月23日(火) 天気は 雪 *** 0288
今日は、朝からず〜と、雪降りの日だった。
量は多くないのだが、チラホラという感じでず〜と降っている。

もうみなさんもご存知だと思うけど、
『イスラエル軍が、イスラム原理主義組織ハマスの創始者ヤシン師を殺害し、さらにパレスチナ自治政府のアラファト議長
の殺害もあり得るとの考えを示唆した。イスラエル軍は、、ハマス幹部全員の殺害を目標にすることを決定。』
パレスチナ側からは「全面戦争だ〜!」との声もある。。。。。いやはや、参ったな〜。。。

スイスからは、遠い世界とはいえ、世の中平和でないと、困るんだよね〜〜〜。

数年前まで、アメリカのクリントン政権時には、中東和平までこぎつけ、世界的なセンセーショナルな、イスラエルのラビン
首相とアラファト議長との握手(中央には、クリントン大統領)の写真を見た方も多いでしょう。
なのに、今こうしてイスラエルとパレスティナの間で殺し合いしているのは、イスラエルのシャロン首相が、2001年、当時の
バラク首相が和平の会談を重ねているさなか、イスラムの聖地”アル・アクサ・モスク”を強行訪問したのが原因です。
この無礼な行為(パレスチナ人にとって)に怒ったパレスチナ人たちが暴力を振るい、それに対してイスラエル軍が銃器を
使って反撃し始めたのです。
http://www.geocities.com/inazuma_jp/people.html

アメリカでは、ホワイトハウスの元テロ対策補佐官リチャード・クラーク氏が著書で、2001年の同時テロの際のブッシュ
政権の対応を批判しています。
*ブッシュ大統領は、オサマビン・ラディン氏には見向きもしなかった。
*ブッシュ大統領は、アルカイダの存在など、気にもしなかった。
*ブッシュ大統領は、9.11以降は、イラクのフセイン大統領を潰す事ばかり考えていた。などなど。

丁度、秋にアメリカでは大統領選挙があり、この元テロ対策補佐官リチャード・クラーク氏は、ブッシュ大統領と選挙戦を
争う相手である、民主党のケリー上院議員側と仲がいいという、噂もあるそうですが。

ブッシュ現大統領のお父さんである、ブッシュ元大統領も、当時イラクへの攻撃を始めた人物。(湾岸戦争)
もともと、フセインが嫌いな家系かも知れない。
2004年03月22日(月) 天気は 曇り *** 0287
昨夜から小雪が降っていて、今朝起きたらうっすらと通りにも積もっていたが、時間の経過と共にその雪も消えていた。

ところで、我が家の子供たちがテレビの通販で「ウォルト・ディズニー」の映画音楽のCD4枚セットを購入して聴いている。
このCDの中に、「ライオンキング」の曲が数曲入っている。
そのうちの1つ、タイトルは、「Can you Feel The Love Tonight」。
作詞、作曲、歌はエルトン・ジョンだが、何度聞いても「バカボン」という歌詞がある。(笑)
残念ながらCDセットには、歌詞がついていないので確かめられずに、ず〜と「バカボン」「バカボン」と聞いては、みなで
笑っていた。
いくらなんでもディズニーの映画であり、作詞、作曲が「サー・エルトン・ジョン」である。
本当に「バカボン」ではないだろう?と思うのだが、しかし、聞けば聞くほど「バカボン」にしか聞こえないのだ。(笑)

先日、日本に行った時に「カラオケ」に家族で行った。当然ながら、このエルトン・ジョンの曲を早速かけた。
テレビ画面に英語の歌詞が並ぶ。
家族4人で、歌を歌うよりも、この歌詞に注目した。そしたら、やっぱり。。。。
「バカボン」だった!!!
大うけしたのは言うまでもない。もう部屋の中は笑いの渦だった。

いや、ちょっと待てよ。
同じ「バカボン」でも、スペルが違う。
「BAKABON」ではなく、「VOGABOND」だった。
なんだ、「VOGABOND」って?
手元には辞書がない。

それからしばらくの間、この話題を忘れていた。
で、今日、久しぶりにディズニーの映画曲を聞き、あ!そうだ。。。。。。と思い出した。
子供たちも知りたがっている。
英和辞典で調べると、「VOGABOND」とは?
「放浪」「浮浪人」「宿無し」・・・とある。
う〜む、あんまりいい言葉じゃないな〜。
でも、とりあえず意味は分かった。

でも、テレビの「天才バカボン」の「バカボン」という子供の名前は、この「VOGABOND」から来たのか、それとも単純に
「バカのボンボン」で「バカボン」なのか?
作者の赤塚不二夫さんに直接聞きたいくらいだ。
で、インターネットで調べてみた。

すると、なかなか名前の由来までは解説がなかった。
諦めようとしていたら「バカボン度テスト」というのがあり、25問の問題の中に
『問12 そもそも「バカボン」って何のこと?』があり、回答の中に
『フランス語で放浪者の意 バカボンドから取った』とあった。
これだ〜〜!
しかし、正解とは書いていないので、どうなんだろう〜〜〜?
http://www.koredeiinoda.net/

ちなみに、「平成天才バカボン」(テレビで放映)の最終回って、どんなふうになっていたか知ってますか?
答えは、
シリーズ最終話。ネコになったバカボンパパ。人間バカになりきれば、何にだってなれるのだ。だからこれでいいのだ!
だ、そうです。。。。。(おやじは知らなかった)笑
http://pierrot.jp/title/bakabon/episode/

つまらない話題でした。。。。「おそまつ」(君)
2004年03月21日(日) 天気は うす曇 *** 0286
今日は、な〜んとなく「どんよりした」1日だった。
久しぶりのお休みとあって、朝はゆっくりと起きて、遅い朝食兼昼食(ブランチという)を取って、子供たちとDVDを見て、
過ごした。こんな日は、あっという間に終わるんだな〜。これが。。。。(笑)

ところで、みなさんご存知のように「いかりや長介さん」(享年72)が亡くなった。
(結構、驚いた)
いかりやさんと言えば、ザ・ドリフターズ。ザ・ドリフターズといえば、「8時だよ。全員集合!」である。
当時は、「子供に見せたくないワースト・スリー」の番組だとか、なんだかんだと言われながらも、毎週遠征して公開する
会場はどこも親子連れで超満員だった。
ドタバタ劇ながら、結構仕掛けが大掛かりだったり、歌あり、笑いありで、おやじも毎週楽しみに見ていた。(笑)

最近のいかりやさんの俳優としての番組は、スイスに住んでいるため、なかなか見れなかったので、おやじにしてみれば
やはり、いかりや長介さん=ザ・ドリフターズ。ザ・ドリフターズ=「8時だよ。全員集合!」しかない。
(昔、「8時だよ全員集合!」の「15周年記念腕時計」をもらっていたが。あれは一体どこへいったのだろうか?)
http://www.jame.or.jp/izawa/dorifu.html
http://www.voltekka.com/knight/

ところで、徐々に私の知り合いの方々が亡くなって行く。
いかりやさんもその一人。(いかりやさんは、私を知らないだろうが。私は知っている。笑)
日本の方も、スイスの方も。。。。。
5〜10年ほど前までは、知り合いが亡くなっても、私よりも一世代上の方ばかりだった。
しかし、最近は私が直接知っている、そして身近な方が多くなってきた。
これも、私自身が年を取った証拠なんだろうが。。。。悲しくなる。
つい「昔は良かったな〜」とグチが出てきそうだ。。。。(笑)
2004年03月20日(土) 天気は うす曇 *** 0285
天気予報では、徐々に崩れると言っていた。
土曜日なので、スキーにやっている客も居るが、観光などに来る人も多い。
なんとなく中途半端な、そんな季節である。

ところで、日本のグリコでは「タイムスリップグリコ」シリーズを発売中である。
なんだろう?と、ホームページを見てみると、20世紀に発売されたさまざまな商品を「おまけ」としてつけて販売している
のだ。(売り切れた商品もあるようだが)

第1弾が「青春のメロディーチョコレート」と題して、
ドーナツ盤の感動を再び。21世紀に伝えたい、20世紀の歌謡史黄金時代を飾った名曲たち。
当時のジャケット、レーベル面をそのまま8cmCDのサイズで忠実にリアルに再現したシングル盤コレクション。」
だそうで、キャンディース、大田裕美、ザ・ピーナッツ、ザ・タイガース、アグネス・チャンなどなど、懐かしい曲が入っている。

あるいは、
「タイムスリップグリコ」で、鉄人28号シリーズ、のりものシリーズ、くらしシリーズなど、昔のおもちゃがおまけとしてついて
いるそうだ。

おやじも子供の頃、よく買った。
グリコよりもおもちゃが欲しかった。で、集めた。
「1粒で300メートル」走れる(?)と信じていたので、走ったが、結構しんどかった。
運動会でいつも1位になる子は、「グリコ」をたくさん食べるからだ、と信じていた。(笑)
だから、たくさん食べなければと思うのだが、一度に3粒も食べれば、口の中がベットリとして、気持ち悪かった。(笑)

道頓堀の「グリコ」の看板も、昨年は阪神タイガースのユニフォームを着ていたが、今はいつものランニング・シャツだ。
背中の太陽は、(だと思うが)、子供のころは、甲羅を背負っていると真剣に思ったものだ。
なんで、甲羅を背負って、この人は走っているんだろう?と、真剣に考えもしたが、誰にも聞けなかった。(笑)
まあ、なんだかんだといっても、懐かしい「グリコ」である。
http://www.ezaki-glico.net/chara/timeslip/index.html
http://www.glico.co.jp/kinenkan/
2004年03月19日(金) 天気は 晴れ *** 0284
10000のアクセス。感謝します。
カウンターをつけたのが01月22日ですから、約2ヶ月で10000アクセスです。凄いですね。。。。。
1日に何度もクリックして頂いた(?)「隠れつぶやきファン」に感謝!!(笑)

今日もいい天気。暖かい。
村の中の道路では、水巻作業が始まった。
雪解け、小さな砂利。埃。天気が続くと、それらが舞い上がる。
見た目にも汚いし、小さなゴミなどが目に入って痛くなる人も多くなる。
すると、村の道路建設担当者と観光局の担当者とが一緒になって、道路の水巻を始める。
埃も、砂利も、ごみも、み〜んなまとめて洗い出すのである。
これが始まると「冬も終わり。いよいよ春だな〜」と感じるのである。

ところで、この前に日本で購入した「女子12楽坊」のDVD(CDと一緒についていた)を見た。
このグループは、昨年のNHK紅白歌合戦で見ていたので、知っていたが、DVDは、その紅白の2日後に「日本武道館」
での演奏映像だった。
じっくりと見たのだが、「みんな可愛いね。。。」(笑)
可愛い上に、それぞれ専門家でしょ? すごいね。
1時間30分ほどの映像だったけど、どの曲の演奏でも楽譜などは、誰一人として見ないのね。
自分たちの持ち曲なら楽譜なくても演奏できるだろうけど、人の曲だと、楽譜みないで演奏できるまでには相当の練習が
必要でしょう? すごいね。
「女子12楽坊」の公式ページを見てみたら、やはり、すごい。
この子達、み〜んな「XXX音楽院卒業」「XXXコンクール1位受賞」とかの文字が並んでいる。
やっぱり、すごいんだ〜!
http://www.platia-ent.co.jp/artist/jyosi.html

12人が、それぞれスマートで、可愛いのは、可愛い子ばかりを選んでグループを作ったのか?
あるいは、デビュー前に、それぞれダイエット、美容整形、歯の矯正などをしっかりとしてからデビューさせたのだろうか?
(最近は、日本の女の子たちも、デビュー前にちゃんと整形などさせてから、売り出すのが常識になっているからね)

それにしても、演奏うまい。可愛い。笑顔もいい。しかも、スマート。
こんな子ばかりが、中国には多いのだろうか?(おやじは、友達になりたい。。。笑)
中国には、太った女性は居ないのだろうか?
ぶちゃいくな女性は居ないのだろうか? 不思議だ。。。。。(笑)
2004年03月18日(木) 天気は 晴れ 写真 0283
毎日、暖かい日が続いている。いや、暖かいというよりも「暑い」くらいだ。
村の中でも日中は半袖でも十分なくらいだし、標高2000mのスキー場でもセーターでも十分なくらいである。
まだ3月だというのにこんなに暑いと、今年も夏もまたまた暑いのだろうか? それとも、逆に寒くなるのだろうか?。。。
と、思ってしまう。

ところで、日本のニュースから。。。。
『エンターテインメントニュース - 3月17日(水)16時40分      「大脱走」から60年、元兵士らが当時を回想
   3月16日、脱走不可能といわれたナチス・ドイツの捕虜収容所を脱走し、映画「大脱走」のモデルともなった連合軍の
元兵士らがロンドンに集まり、60年前の大冒険を振り返った(2004年 ロイター/Stephen Hird)
   [ロンドン 16日 ロイター] 脱走不可能といわれたナチス・ドイツの捕虜収容所を脱走し、スティーブ・マックイーン
主演映画「大脱走」のモデルともなった連合軍の元兵士らが今週、ロンドンに集まり、60年前の大冒険を振り返った。
   1944年3月のある月のない夜、捕虜の連合軍兵士ら76人はトンネル「ハリー」を通って、ポーランドのルフト第三
収容所を脱走した。
  そのうちの一人、ジミー・ジェームスさんは、自由を目前にトンネルで待機していた時の興奮を今でもはっきりと覚えて
いるという。
   ジェームスさんは、ロンドンの帝国戦争博物館で記者団に対し「脱走作戦が成功したことに対する驚きとともに、恐怖
の入り混じった極度の緊張を感じた。とても興奮していたと思う」と語った。
   一方、79番目の脱走者となるはずだったケン・リースさんは「トンネルの出口まであと少しというところで銃声を聞いた」
と話した。リースさんはあわてて引き返し、その後、独房「クーラー」に入れられた。映画の中でマックイーンが壁に向かっ
てキャッチボールをしていたあの独房だ。
  作戦は、収容所の捕虜数百人による、数カ月にも及ぶ周到な準備を経て実行に移された。
  収容所の外の森に向かって「トム」「ディック」「ハリー」の3本のトンネルを掘り始めたが、「トム」はドイツ軍に見つかり
爆破された。そこで「ディック」をトンネルを掘る道具の隠し場所とし、「ハリー」を作戦に使用することになった。
  「ディック」はナチスの目を逃れ、現在も残っているという。
  この史実を追ったドキュメンタリー「The Great Escape: Revealed」は17日、英国のテレビ局チャンネル5で放映される。
(ロイター)   [3月17日16時40分更新]』

この映画は私も好きで、何度も見た。
軽快な音楽と共に、スティーブ・マックイーンが、何度も脱走に失敗して収容所に戻ってきては、独房の壁に向かって
一人でキャッチボールしているシーンが懐かしい。
また、脱走に成功したにも関わらず、英語で挨拶されつい英語で答えてしまったシーンもヒヤッとした。
脱走したスティーブ・マックイーンがバイクで丘陵地帯を走るシーンを見て、「現実に見たい!」と思い、ドイツのフッセン
郊外(映画の撮影場所)まで、わざわざ見に行ったこともある。。。。。
しかし、これが事実に基づいている映画だとは知らなかった。いや、忘れていたのかもしれない。
「また見てみよう〜」と、思った次第である。

「写真クイズ」の回答です。(右上をクリック)
2004年03月16日(火) 天気は 晴れ 写真 0282
今日は、グリンデルワルト全学校の「スキー大会の日」であった。
運動会や体育会などがないこちらの学校では、年に1回のスキー大会、体育測定、そして終業式が、唯一の全学校が
集まる催しの日でもある。
今年はフィルストで行なわれた。(メンリッヒェン、クライネ・シャイデックとの3地区で交互に行なわれる)
3つのコース(1〜2年生、3〜6年生、そして7〜9年生)にコースを分けて、それぞれ時間差でスタートするのである。
(子供を多く持つ親は大変だ。次から次へと子供が参加するコースへ移動しなければならない。。。笑)

大会はグリンデルワルトの学校(教育委員会)主催で、コース設定やタイムなどの測定はグリンデルワルト・スキークラブ
が行なっている。
数年前までは、完全にタイムだけの競争だった。
すると、スキークラブのメンバーがいつも上位になっていて、まあ普通は見ていても面白くない。(笑)
(上位になる子供の親は面白いだろうが。。。。)
そこで、最近では、スキーの速さではなく「2回滑って、そのタイム差が一番少ないのが優勝」というルールに変わった。
すると、誰でもが優勝する可能性が出てくるので、子供たちも「もしかして?」という期待感も出てくる。
とにかく、「同じように2回滑ればいいわけだ」。(これも、現実は難しいが。。。)

スキー以外の、スノーボードでも、ミニスキーでも、ビッグフートでも、何でもいいのである。
(だから、タイムレースにすると、どうしてもスキーが最も早くなってしまうのだ)
下級生はほぼ100%がスキーだが、上級生になるとスノーボーダーも多くなる。

おやじは、「そり」「ヴェロゲメル」(木製の自転車型そり)「プラスティック製の皿」「ビニール袋」などで参加する生徒は
いないだろうか?と、密かに期待したのだが。やはり(?)居なかった。(そこまでお笑いをやってくれる子は、居ないね)

終了後、フィルストのレストラン下で表彰式が行なわれる。
下級生たちは、座り込んで真剣に聞いているが、上級生になると、後方で雪投げしたり、ちっとも聞いていない。
(まあ、どこでも同じだ。笑)
上位3位の子供たちは、一人づつ前に出てきて、先生からメダルが授与される。そして、もちろん、握手する。

グリンデルワルトには、現在6つの小中学校と3つの幼稚園がある。
Bussalp(ブスアルプ)には、1年生〜6年生までのクラスが。
Endweg(エンドヴェッグ)には、1年生〜6年生までのクラスと、リアル・クラス(普通科)が。
Graben(グラーベン)には、幼稚園、1年生〜6年生までのクラスと、リアル・シューレ(普通科)、クライン・クラス(知恵
    遅れのクラス)と、セコンダラー・シューレ(上級クラスへ進む科)がある。
    ここが、グリンデルワルトの中心地にある(ホテル・サンスターの横)学校だが、最近は生徒数が少なくなっている。
    (昔は、ホテルやレストラン、商店の子供が多かったのだが、最近は中心地に住まない家族が多いためである)
Itramen(イトラーメン)には、5年生〜6年生だけのクラスが。
Muhlebach(ミューレバッハ)には、1年生〜6年生までのクラスが。
Wargistal(ヴァルギスタール)には、1年生〜4年生までのクラスが。そして、
Burglauenen(ブルグラウエネン)と、Zahnredli(ツァーンレドリ)には、幼稚園がある。

今回のスキー大会の記録を見ると、幼稚園以外のクラスの生徒は、
1〜2年生が、女子37人。男子41人。
3〜4年生が、女子40人。男子36人。
5〜6年生が、女子42人。男子39人。
7〜9年生が、女子47人。男子59人。
グリンデルワルトの全校生徒数は、女子166人。男子175人。合計で341人となる。

今日は暑かった。標高が2000m付近でもプラス5度くらい。
直射日光だと、40度はゆうにあっただろう。
じっと、雪の上に立って待っているだけで、もう顔は真っ赤に焼けてしまった。汗もかく。。。。
(綺麗な顔が台なしである。。。。。笑)  とにかく、暑かった〜〜〜〜!!!!
2004年03月15日(月) 天気は 晴れ *** 0281
最近は、弊社のカウンターに学生さんたちが多く訪れるようになった。
いわゆる「卒業旅行」のシーズンである。
おやじの若い頃にも「卒業旅行」があったが、昔ほど最近は「卒業旅行」をする学生さんが多くないように感じる。
一時期、卒業旅行の仕事にも関係したことがあるので、学生さんたちの旅行形態も知ってはいるが、これも随分と
変化したように思う。

おやじは18歳で横浜からバイカル号に乗ってソビエト連邦に向かった。そしてシベリア鉄道で1週間掛かってモスクワへ。
さらに、鉄道を乗り継いで西ヨーロッパに入ったのである。
お金はなかった(出国時の所持金は確か、6万円くらいだったと思う。1ドルが360円の頃である。笑)が、時間はあった。
だから、シベリア鉄道も、いろんな国の若者と一緒に1週間を列車内で過ごすのだが、楽しかった。

あのころ、ヨーロッパを旅行する日本人の男は一人旅。女は二人連れと相場が決まっていた。
英語圏の若者たちは、必ずといっていいほどカップルだった。
(羨ましかったのは事実だ。。。笑)

最近は、日本の若者もカップルで旅行する姿を多く見る。
香港や韓国の若者たちは、なぜか男女の4〜6人グループが多い。

昔は、お金がないからユースや安ホテルに泊まっていた。
今は、お金がそこそこあるし、クレジットカードなどもあるので、まあそこそこのホテルにも泊まっているようだ。
移動も、ヒッチハイクが多かったが、今ではユーレイルパスだのスイス・カードで安全に、快適に旅行している。
まあ、時代が変わっているのだから、仕方ないが。。。。
2004年03月14日(日) 天気は 曇り/晴れ *** 0280
今夜は、ある日本人のグループの方々との夕食会があった。
このグループのリダーは、日本の有名なスキー場に山小屋などを持っていて、連れてくるお客様はその山小屋などの
常連さんばかりである。
グリンデルワルトとも「友好親善都市」契約を結んでおり、もちろん40年前からグリンデルワルトにも来られている常連
さんでもある。
グリンデルワルトの元村長、元観光局長、観光局副局長などの友人を招待しての夕食会であった。

元村長さんは、元中学校の数学の先生でもあった。
元観光局長さんは、33年間、観光局で働いた方。
それぞれ、現在は悠々定年後のゆとりある生活をしておられる。

元村長さんは、スペイン領マジョルカ島(地中海)に別荘を持っていて、グリンデルワルトと半々の生活をしている。
元観光局長さんは、4月上旬〜12月上旬までの間、南アフリカに住むことになっており、南アフリカに家を購入した。
もちろん、グリンデルワルトとの半々の生活を行なうのだ。

日本でも、今は定年後に海外に住む「ロングスティ」が盛んなようだが、こちらスイスの人々も同じように定年後は、スイス
以外の国に住むのが流行っているようだ。
もちろん、夫婦で同じ趣味を持ち、同じ考え方でないと出来ない計画ではあるが。。。。。。

おやじも、定年後には、スイスとスイス以外の国で、半々の生活をしたいと考えている。
どなたか、お勧めの場所や物件があったら、教えて欲しい。。。。。。
2004年03月13日(土) 天気は 晴れ/曇り 写真 0279
03月12日(金)から今日まで、チューリッヒに行っていた。
チューリッヒは、スイス最大の都市であり、空や鉄道などの玄関口でもある。
チューリッヒ空港にあるホテル・チェーンからの招待で、ホテル見学&研修だった。
スイス国内の旅行会社の担当者が集まり、ホテル視察と、今日は、チューリッヒ観光局のスタッフによる「徒歩による
チューリッヒ市内観光」(2時間コース)を行なった。

最近は、チューリッヒに仕事で来てもほとんど日帰りなので、宿泊するのは久しぶりだった。
旧市街などを歩くのも久しぶりだった。
いつも、人口4000人のグリンデルワルトに住んでいるので、たまには都会に出てくるのも刺激があって良い。
グリンデルワルトでは絶対に見ることが出来ないような、「サマザマ」な人が、都会には居る。

髪の毛が真っ青な若者。ラップ系の若者男女。ピエロのようなナリで闊歩する女性2名。
ケバケバしい服装のおばさん。(日本人のオバサンじゃないですよ!笑)
どこかの通りで生活しているような中年の男性。「くすり」を売ろうとして声を掛けるスイス人でないおにいさん。
世界中からの旅行者。スイス国内から上京(?)してきたスイス人。。。。。。。。
チューリッヒからの帰りの車の中で思った。
「都会は疲れるわ〜〜。やっぱり、グリンデルワルトが一番、いい!!」って。

久しぶりの「写真クイズ」です。。。回答をお待ちしていますよ〜〜〜。
2004年03月10日(水) 天気は 晴れ/曇り *** 0278
天気は、晴れ。しかし、午後から徐々に雲が広がってきていた。
気温は低いので、ちょっと肌寒い感じだ。

ところで、次の2つのニュースがあった。
1)『社会ニュース - 3月10日(水)15時4分      <神戸児童殺傷事件>「償い、生涯費やして」 悔悟の念を口に
  「生涯を費やして(罪を)償います」――14歳だった97年に児童2人を殺害。残忍な手口と「酒鬼薔薇(さかきばら)
聖斗を名乗った挑戦的な犯行声明文で世間を震撼(しんかん)させた男性(21)は、約6年5カ月に及んだ関東医療少年
院(東京都府中市)などでの治療・教育の結果、悔悟の念を口にするようになったという。
当初、「更生は不可能ではないか」と危ぶむ一部の声に、法務省は威信をかけた更生プログラムを作成。スタッフは、
親にも似た温かい愛情を注ぎ続けたとされ、その成果に自信を見せる。受け入れる社会も、その有りようを改めて
問われることになる。(中略)
  仮退院した男性は「自分を守るため」名前と経歴を変え、住所地も明らかにされない。だが、入院中に自分の決意を
作文にこうつづった。
  「人の目を逃れるような生活を改めたい。被害者に対する罪をどう背負うかというつらい現実が待っているが、逃げず
に一生懸命続けていく」(毎日新聞)   [3月10日15時4分更新]』

2)『海外ニュース - 3月11日(木)1時2分      共犯の少年に終身刑=米連続狙撃事件
  【ワシントン10日時事】2002年10月に米ワシントン近郊で10人が殺害された連続狙撃事件で、バージニア州チェサ
ピークの裁判所は10日、殺人罪などで有罪評決を受けた18歳の少年(犯行当時17歳)に、仮釈放なしの終身刑を
言い渡した。
  少年については昨年12月、陪審団が仮釈放なしの終身刑を判事に勧告。これを受けてこの日、正式に刑が言い
渡された。少年は主犯格の元軍人の男とともに、ライフル銃を使ってワシントン近郊のバージニア州などで住民を次々に
狙撃して死傷させた。元軍人には9日、死刑判決が言い渡された。 (時事通信)      [3月11日1時2分更新]』

2つの事件は、それぞれ内容も、場所も異なるので比較しようがないが、しかし、同じ殺人を犯したのに、方や「精神障害
者」として、無罪。方や「終身刑」である。
人を傷つけること、殺すことなどは、元々「正常」ではない。が、これらを全て「異常=精神障害者」としていたのでは
傷つけられた方、殺された方としては、やりきれない。
「傷つけられ損」「殺され損」となってしまう。
しかも、加害者のほうは、生きている。そしてまた、いつかは社会に復帰してくる。。。。。。

(1)の場合では、「自分を守るため」名前と経歴を変え、住所地も明らかにされない。そうだが、被害者を殺しておいて
「自分を守る」のは変じゃないだろうか?
よく、人権擁護委員会などが、加害者の人権うんぬんを言うが、被害者の人権はないのだろうか?
突然、理由もなく、傷つけられ、殺されしまった、これら被害者の無念は、加害者には届かないだろう。
また、当事者だけでなく、親の気持ちも何百倍も悔しいに違いない。

私も子供を持つ身。もし、私の子供がこのような「精神障害者」に殺されてしまったら。
もし、私の子供が相手に対して「いじめ」を繰り返し、相手が自己防衛で私の子供を殺してしまったのなら、初めの責任は
こちらにあるが、もし、何の理由もなく殺されてしまったのなら、私は、この加害者を絶対に許さない。
加害者に対して、「あだ討ち=復讐」をするだろう。。。。
2004年03月09日(火) 天気は 晴れ *** 0277
私のパソコンには、毎日約30通ほどの「ウィルス付きメール」が送られてくる。
しかし、ちゃんとウィルスを除去するための「ノートン」をインストールしているので、パソコン自体には、影響がない。
しかし、連日沢山のウィルス付きメールが送られてくると、正直言って、ゲンナリしてしまう。
差出人は、昔のような「変なアドレス」ではなく、ちゃんとしたアドレス(例えば、Tarou.yamada@xx.ne.jpというような)
なので、本当に送られてきたメールのような体裁になっていたり、「戻りメール」と称して、いかにもこちらから送った
メールのあて先不完全で戻ってきたような体裁になっていたり・・・と、最近は手の込んだ仕業になっている。
間違っても、これらのメールに添付されているフォルダをクリックしてしまうと、いっぺんにウィルスに入り込まれ、その
パソコンから、さらに次の標的に向かってウィルス付きメールが送られてしまうので、十分に注意しよう。

いまどき、ウィルス除去のソフトが入っていないパソコンなんて、ないとは思うが・・・・。
でも、そういっても、毎日これだけのウィルス付きメールが送られて来ているので、まだまだソフトを入れていない人も
多いんだろうな〜〜〜。
まだ、ウィルス除去のソフトを入れていない「あなた」、すぐにインストールしましょう!!
これは、もうパソコンを扱ってインターネットやEメールしている方の常識ですよ。

なお、こちらからも時々「クラブ通信」や「案内所通信」を送っていますが、タイトルには必ず「クラブ通信」や「案内所通信」
の文字を入れていますので、これらのタイトルのないものは、こちらから送ったものではありません。
また、「ウィルス付きメール」をお送りすることもありませんので、ご安心下さい。
(ただ、最近は、ぜ〜んぜん、「通信」を送っていませんね〜〜〜。お許しを!)
2004年03月08日(月) 天気は 雪 写真 0276
先日のスッチャンの話しについて「おやじのつぶやき」ファンから、メールが届きました。
『スッチーの件、同じようにいやな思いをしました。数年前の同じ航空会社です。
もしかしたら、同じ人ではないかと思いました。外国系に乗っている日本人スッチーは概ねそういう傾向がありますね。
不愉快です。だからなるべく日本人には頼まないようにしています。』

同じスッチャンかどうかはともかくとして、まあ、これは、その人の「性格」ですね。
航空会社も、特に関係なく、その人の「人間性」ですね。。。
外人のスッチャンにも、ひどい人も居ますからね〜。
以前、機内の後部=配膳室(?)で外人のスッチャンに、飲み物を注文したら、
スッチャン専用の椅子に座っていた、その外人のスッチャンは、
「私は、今は休憩中なの。他のスチュワーデスに頼んで」と直接言われ、開いた口が塞がらなかった事がありますから。

ところで、、、、、
ルッツェルン州の警察から、スピード違反の罰金通知書が届きました。(2004年01月20日に起こしたもの)
スイスでは、スピード違反も駐車違反も、全て罰金制となっており、点数はありません。
スイスの中でも、スピード違反に最も厳しいのがルッツェルン州です。
高速道路や一般道路の至る所に「レーダー用カメラ」が設置されています。
大体の場所では、どこに設置されているか知っているので、そこではまず写真に撮られる事はありませんが、普段
通らない道では、どこに設置されているか分からないので、今回のように写されるのです。
(今までに2回撮られて、1回通知が来ましたので、今回が2回目の通知となります)
通知書は、支払い用紙にもなっていて、罰金を銀行、または郵便局から支払うようになっています。

今回は、制限速度80kmのところ、86kmで走りました。
そのうち、安全に走るための「おまけ」が5kmマイナスされており、実際のスピード・オーバーは、1kmのみ!!
で、罰金は20フラン(約1600円)
30日以内に支払うことになっています。(などと、通知書=支払い用紙に記載されています)

もちろん、スピード・オーバーもひどくなったり、飲酒運転だったり、事故を起こしたりすると、罰金だけでは済まない
ケースも、ありますが。。。。
(通知書は写真参照)
2004年03月07日(日) 天気は 晴れ *** 0275
成田からスイス・インターナショナル169便に乗って、スイスへと戻ってきました。
グリンデルワルト着は、午後の8時30分。雪が降っていました。
(まもなく起床後24時間が経過します。疲れますね。。。)

成田空港は、そこそこ混んでいました。
スイス169便では、ビジネス・クラスも、エコノミー・クラスも満席でした。
でも、チューリッヒで降りた方は少なかったです。
ほとんどの乗客は乗換えで、ローマ、スペイン方面へ向かうようでした。
(ギターリストのクロード・チアリさんもビジネス・クラスに乗ってました。知ってますか?この男性?)

空港といい、機内といい、これだけ多くの日本人が海外旅行をしているわけです。この時期に。。。。
まあ、今は春休み中なので、学生さんも多少乗ってましたが。
日本の景気は、良くなっているのでしょうか?

ところで、今は成田空港を利用する(以前は関西空港だった)のですが、いつも不思議に思うことがあります。
1つは、空港へ到着の際の「パスポート検査」。
当然、検査する係員は警察官ではなく、下請けの警備会社の人です。(警察官は数人だけ、一応居ますが。。。)
毎日毎日、多くの乗用車、バス、その他の車が到着し、その都度検査をしていますが、あれって、本当に検査していると
思いますか?
もちろん、目的は「過激派対策」(今だと、さらにテロ対策もあるでしょうが)だと思います。
しかし、今頃「私たちは過激派ですよ!」な〜んて格好や服装で空港には、もう来ないでしょう?
もし、本当に空港を爆破したり、爆弾を爆発させたりするんだったら、普通の旅行客の服装をして、普通の荷物を装って
持って来ますよね。きっと。
スーツケースに爆弾仕掛けて、普通の服装。パスポートも普通に見せて。。。。
警備会社の係員なんて、形式上でパスポート見てるけど、名前を照合するわけでもないし、スーツケースだって開けろ
とは言わないし、中に爆弾が入っていても警備員は「はい、ご協力ありがとうございました!」って、敬礼しておしまい。
たやすく、空港内に入れて、爆弾の入ったスーツケースを出発ロビーの混んでいる場所に放置して、10分もすれば
爆発したら、それこそ、大惨事だけど。。。。でも、出来ますね。簡単に。。。。。。
私がテロリストだったら、このようにしますね。係員は惰性でしか見ていないし、警察官も暇そうにしているし。
だから、よくもま〜、今まで過激派もテロリストも、な〜にもしないのが不思議なくらいです。。。。
「検査していない検査だと思うんですが・・・・」

2つ目は、空港内のトイレにある手の乾燥機。
なんで、成田空港のトイレの乾燥機って、下に設置されているのでしょうか?
洗った手を機械の上に置いて濡れた手をゴシゴシすると、下から風が吹き上げてくるんだけど。。。
水滴は下に(機械上)に落ちるし、風はその下側から吹き上げています。。。。
な〜んか、変な機械ですね。
スイスやヨーロッパの乾燥機は、腰から上の高さにあって、濡れた手をゴシゴシすると、水滴は下に落ちます。
決して、機械の上には落ちません。
日本の空港では成田空港が確か、一番最初に乾燥機を設置したと思うんだけど、誰が考えたのやら??
ちなみに、関西空港では腰の高さにあって、ズボンプレートのような2枚の間に濡れた手を入れ、上下に出し入れすると
水滴が風の勢いで飛ばされるようになっています(確か。。。。)
これがいつも成田空港で「?」に思うことです。。。。
2004年03月06日(土) 天気は 雪 *** 0274
大阪から京都へ向かった。
京都では、な〜んと、雪が降っていて、寒かった。
京都で、母の3回忌を行なった。

その後、新幹線と成田EXPを利用して、成田空港にやって来た。
時間は、午後8時前。
「こんな遅い(?)時間だから空港はガラガラだろう・・・・」との予想は逆で、帰国してきた日本人旅行客や日本訪問の
外人客などで到着ロビーは混んでいた。
じゃ、海外旅行も盛り返して来たのかな〜〜〜と、思う。

明日は、スイス・グリンデルワルトに帰る。
我々も、子供たちも「疲れた〜」日本だった(ようだ・・・)。
2004年03月05日(金) 天気は 晴れ *** 0273
日本(大阪)は、寒い。
来る前の日本(大阪)の天気が暖かかったので、春の服を用意して来たので、日本に到着してから気温が下がっている
ので、寒さが身にしみる。
しかも、日本の住居の暖房が、集中暖房でないので困る。
部屋の一部にしか暖房は入っておらず、廊下やイロイロな場所には、暖房が効いていない。
家中が集中暖房になっていて、いつも暖かいスイスとはエライ違いである。
とにかく、さむい・・・・・。
2004年03月03日(水) 天気は 晴れ *** 0272
日本に来ても、なかなか毎日が忙しい。。。
「おやじのつぶやき」も、滞っており、「隠れファン」にも「表ファン」にも申し訳ないです。。。。
もう少し、時間が出来るまで、お待ち下さい。。。。