おやじの つぶやき

 グリンデルワルトに住む、安東一郎=おやじ が、特にテーマもなく、毎日の変化、 
 行動、思い=気持ち、その他を とりとめなく、つぶやくコーナーです。
 多少、個人的、傾斜的、一方的、一面的、勝手気ままに書いていますが、お許しを。 
 この「おやじの つぶやき」についてのご意見がありましたら、「ここ」へ.。
 ご批判、激励、賛同、反対、その他、なんでもOKです。
 (但し、匿名のメールは無視しますので、お名前をちゃんと書いて来て下さいね)

 また、「写真クイズ」などの回答は
「ここ」へ回答をお送り下さい。
なお、  をクリックして頂くと、その日の写真が御覧頂けます。
「おやじのつぶやき」の写真一覧
「おやじのつぶやき」(2007年04月分) 「おやじのつぶやき」 表紙 「おやじのつぶやき」(2007年06月分)

2007年05月31日(木) 晴れ *** 1372
今日の朝も、晴れ〜〜〜〜!
ただ、気温は低い。午前08時の外気温は、プラス8度であった。

今まで住んだ家の最終日。
家具も荷物も全て運び終えた。
次に入る若い女性(4人組み)が必要だという家具や洗濯機、食器洗い機、そして衛星放送のチューナーなどは、そのまま残して
おいた。
10年住んだ家ともお別れ。
未練は、ない!(きっぱり!)

新しいほうの家(古い家だが)では、まだ改築工事が完了していない。
毎日、3組の工事担当者が来ているが、その中に、ペイント専門のお姉ちゃんたちがいる。
他の工事担当者が地元なので、午前07時にはもう来て仕事を始めているのに比べ、このお姉ちゃんたちは地元ではないので、遅れ
て来るものの、午前8時頃に来て、午前9時にはもう休憩だから、呆れてしまう。
まあ、基本的に日本人よりは、几帳面に働かない人たちなので、言っても仕方ないが、、、、、。
(でも、他の担当者の男性たちは、コツコツと真面目に、しっかりと働いていますが、若い女性はだめだね〜〜〜)

日本でもそうだろうが、作業は分業なので、自分の担当以外では何もしないし、さっさと来ては、自分の担当の仕事をして、そして、
さっさと帰ってゆく。
まあ、色々とありますね〜〜〜。
2007年05月30日(水) 晴れ *** 1371
朝は、晴れ〜〜〜〜!
真っ青な、晴れ模様〜〜!
雪景色。緑の木々と牧草地。雪山と青空。。。
サイコーな景色。

おとといの雪で木々の枝があちこちで折れて、道路をふさいだりして、交通や通信に影響を与えた、と新聞記事に書いてあった。
その例が、登山電車や道路の不通であり、電気の停電などの被害である。

おやじの家の外の駐車場には、大きな木が茂っていた。
その隣りに、家内の車を止めていた。
そこは2台分の駐車が可能な場所である。
家内が車を止めていないほうの場所に、雪の重みで折れた木の枝が落ちていた。
枝といっても、大きな枝である。
「間一髪」で、家内の車に直撃しないで助かったのである。
良かった!

折れて、落ちている枝を処分するには、個人では無理なくらい大きな枝である。
そこで、落ちた枝の処理をお願いするべく役場に電話した。
「役場の管轄の場所ですか?」
「いいえ」
「では、個人で処理してください。役場ではできません」
「どうやってすれば?」
「じゃ、○○を紹介しますから、そちらに連絡をしてみてください」

紹介された場所に電話したら、すぐに現場を見に来て
「じゃ、明日処理します」
「おいくらほどになりますか?」
「約100フランです」(約10000円!)

で、今朝方8時に男性が1名やって来て、電動のこぎりで枝を細かく切断し、落ち葉も車に積んで持っていった。
その間、約30分。
これで簡単に片付いた。
でも、100フランである。しかも、個人的費用である。あ〜あ・・・・。

「大雪もお金が掛かるんだな〜〜、これが・・・」(苦笑)
晴天の景色(アイガー) クライネ・シャイデック方向 メッテンベルグ
2007年05月29日(火) 曇り/雨 *** 1370
今日の朝の天気は、曇り。
そして、雨が時々降る。
昨日の影響で、あちこちで木々の残骸を運ぶ車の姿を多く見た。
電気工事関係の車も右に左に走っているし、工事関係者の姿も多い(ような、気がする)

電車は、一番電車から通常に動いている。
もちろん、道路も通常通りになっている。

今まで住んでいた家からのゴミを廃棄するために、グリンデルワルト村はずれにある「ゴミ処理場」へ車で持ってゆく。
おやじの車は乗用車ではなく、9人乗りのミニバス・タイプなので、座席を倒せば荷台となる。
なので、一般の乗用車よりは多くの荷物を運べるようになっている。

通常、ゴミは指定された場所にゴミ袋(有料)を使って捨てるか、指定日に回収に来る回収車に渡すようになっている。
しかし、工事でのゴミや大きなゴミなどは、村はずれの「ゴミ処理場」へ持ってゆくのが普通である。
この場合は、ゴミの重さで料金が決まる。
つまり、ゴミを積んだ状態で車の重量を測る。そして、ゴミを捨てた後に再度車の重量を測る。これで、差し引きがゴミの重さとなる。
で、おやじは、その車で合計3回往復した。
捨てたゴミの重さは、ナント! 410kg。
そしてゴミ代金は、168フラン(約16800円)だった。

なんでこんなにゴミが多いねん!?
今まで、不要なゴミを後生大事に抱えていたわけだね。(苦笑)

ちなみに、同じゴミでもベット、ソファー、家具などは、1個いくらと決まっているようだし、パソコンやテレビ、電化製品などは重さには
加えないで無料である。(なぜかは、知らない・・・苦笑)

また、古着などは「古着専用回収ボックス」に投函する。
(いわゆるリサイクルで、困った人々に配布される)

「引越しとは、不要なゴミを処分する時でもある」
雪景色
2007年05月28日(月) *** 1369
朝、目覚めて外を見ると、ビックリ!!
雪模様。
しかも、ドカ雪が降っている。
昨夜の午前2時ごろには雪は降っていなかったので、それ以降。多分朝方から降りだしたのだろう。。。
見る見るうちに、雪はドンドンと積もってゆく。
グリンデルワルトの村中も雪で真っ白な状態に。
とても車で走ろうとは思わないくらいの積雪量である。(優に30cm以上は積もっている)
歩いて事務所に行く。
この雪で登山電車はストップ。インターラーケンへの道も電車もストップ。(木々の倒壊らしい)
お昼頃には時々停電の前兆が。
と、お昼前にはグリンデルワルト村内全体が停電となってしまった。
午後になっても停電は回復せず。
メンリッヒェンやフィングシュテッグへのゴンドラやロープウェイもストップした。
雪は降り止む様子もなく、ずっと降り続いている。
しかも、いまどきの雪は湿気を多量に含んでおり、めちゃめちゃ重たい。
あちこちで、木々の枝が雪の重さで折れている。
きっと、登山電車や道路も同じように、木々が倒れているのだろう。
事務所も停電のために、パソコンが、コピーが、機械類が動かない。

夜の7時になってようやく停電が終わった。電気が通るようになった。
電気で動く全ての物(今では、ほとんど95%が電気で動いている)が停電と同時にストップしてしまう。
(電気のありがたさも感じるし、電気に100%おんぶされている今の社会も怖いよな〜〜)

おやじの家では、工事中のため、暖房は50%しか動いていない。
電話は、05月22日からストップしている。(但し、これは停電に関係なく、電話会社=Swisscomが原因であり、繋がる様子がない)
電話線が繋がらないので、家ではPCはインターネットもEメールも動かず、どうしようもない。

道路は回復したものの、鉄道は完全にストップしたままで、バスが振り替え輸送をしていた。
いやはや。
5月末の大雪に、観光客や地元住民の生活が狂ってしまった。
(まいったな〜〜〜)
雪景色
2007年05月27日(日) 曇り/晴れ *** 1368
新しい家で迎えた最初の朝。
窓からはアイガー北壁がしっかりと見える。
「もう、サイコー」!」という幸せ。(笑)

ただ、家の半分は工事中なので(苦笑)、色々と不都合がある。
工事の職人さんが入れ替わり立ち替わりやってくるので、そのつど、不都合を知らせて直してもらったり、追加したり・・・・・。

まだまだ完全に終わっていない引越しなので(大きな家具などは、昨日の引越しで運び終わったものの)、今日もこまごまとした物を
運ぶ。
いやはや、なんでこんなに色んな物があるんだろな〜〜〜(と、つくづく思う・・・)
なかなか片付かない。片付くはずがない。
2007年05月26日(土) 曇り/雨 *** 1367
おやじの家の「引越し」の日。
天気は、朝から雨模様。
「あ〜あ・・・・」とため息が出てしまう。(昨日まで晴れていたのに・・・)

が、「雨降って地固まる」という言葉通り、これがおやじの今年の運勢である。
実際、引越しが始まる頃には、雨は上がっていた。
そして、引越しが終了した夕方から雨がまた降り始めた。

今度の住まいは、今までのメイン・ストリートとは180度異なり、周りは牧草地。
駅から徒歩15分ほど離れており、そりゃ〜も〜〜静か。
家の左手からヴェッターホルン、メッテンベルグ、アイガー、メンヒ、ユングフラウ、そしてメンリッヒェンまで180度のパノラマが一望。
家の前は、坂となっているので視界を遮る物は、なにもな〜い。

「家のベランダから、部屋から、寝転がって アイガーを見る・・・」のが、おやじの夢である。
(もちろん、今までも家からアイガーを見ることはできたのだが、しかし、その見え方が全然違う)

引っ越しても、それからが大変である。
運び込んだ荷物を整理する。。。。。。
引越しの経験者なら、分かって頂けるだろう。。。。

引越しした家で初めての夕食を取る。
夕焼けに映えるアイガーを期待したものの、雨の天気では、それも無理・・・(苦笑)
2007年05月25日(金) 晴れ *** 1366
グリンデルワルトからテッシュへ向かう、お客様を車でご案内する。
天気はずっと良いので、お客様もグリンデルワルトでの滞在を満足された様子。

最近は、日本からの団体客も多く見るようになった。
もちろん、○○○という某有名な旅行会社などのツアー客である。
そして、当然ながら客層は、いわゆる「団塊の世代」の夫婦が多い。
ただ、団体ツアーなので、当然ながら、忙しく動き回っている。
「初春のヨーロッパ ドイツ、スイス、パリ 10日間コース」なのだろう。。。。。

登山電車から降りてくると、例の時計店(兼お土産屋)の客引き嬢が駅で待ち受けており、そのまま客引き嬢のごあんな〜〜〜い!
で、駅からゾロゾロと、駅前にあるこの「例の時計店(兼お土産屋)」に入ってゆく。。。。。
(なんとなく、「○○○ホイホイ」のように見えてしまうのは、おやじだけだろうか・・・・・?)

夜、子供訪問団の引率者の家に訪問団のメンバーと両親が集まって、「訪問報告会」を催した。
引率者が映した4時間のビデオを見ながら、大笑いの連続だった。
これで、子供たちの両親も安心したことだろう。。。。
もちろん、参加した子供たちも「初めての日本旅行」にさまざまな体験をしたことと思う。
2007年05月23日(水) 晴れ *** 1365
午前中、役場に呼ばれた。
この5月に行なった「グリンデルワルト公式訪問団」と「子供訪問団」の報告をするためである。
役場の会議室には、村長、書記長、新聞社の記者が2名と、子供訪問団の引率者が集まった。
そこで、「グリンデルワルト公式訪問団」の様子は、訪問団に自ら参加した村長が行ない、「子供訪問団」の方は引率者が行なった。
それぞれの写真を持ち寄り、新聞社に提出。
来週には、新聞記事になるという。

家を見つけたのは、昨年の10月。(6年前にも同じ物件を見たのだから、これも因縁だろう・・・)
契約を結んだのが、今年の2月。
そして、改築工事のための設計などを知人の建築士に依頼し、4月から徐々に引越しの準備を始めた。
4月下旬〜5月中旬には、日本へ行く仕事(2つの訪問団)があるので、何もできない。
スイスへ戻ってきてから、さらに本格的な引越し準備を始める。

引越し経験のある方なら、すでにご存知だろう。
とにかく、引越しは「大変な作業」である。
2007年05月22日(火) 晴れ *** 1364
長い間「おやじのつぶやき」を、休んでしまいました。
お許しを。。。。。

言い訳@ : 
実は、おやじの家族は、引越し中なのです。
今までの家は、約10年住んだことになります。
今までの家の前には、ホテル・サンスターの敷地内にある支配人の家に約5年ほど住んでいて、長男が幼稚園に通い、そして小学校
1年生になる時期に、その家から引っ越すこととなり、いわゆる「学区」の問題で、幼稚園と同じ学区の小学校に通わすために住む
場所を探していたら、丁度メイン・ストリート沿いの家が見つかり、そこが同じ学区内だったのでそこに住んだのです。
それから10年の歳月が過ぎました。

おやじの今までの住まいを知っている方は良く分かるでしょうが、家はメイン・ストリート沿いなので、とにかく「便利」な場所でした。
お肉屋、パン屋、メガネ屋、美容院(散髪屋)、スポーツ店、KIOSK(キオスク)、銀行、COOP(スーパー)、公園、事務所まで、全て
徒歩圏内(30秒〜2・3分)で用が足りる場所でした。
しかし、その反面、パン屋さんの職人さんが夜中から仕事が始まり、午前2時〜3時ごろには、酔っ払いが歌を歌ったり、大声を出し
たりしながら通りを歩くし、早朝からは配送用のトラックが走り回るし、、、、、、で、とにかくうるさい場所でした。
まさに「グリンデルワルトの銀座通り」だったのです。

長男も、そして長女も大きくなり、もう学校の学区など気にする必要がなくなりました。
さらに、おやじたちも「少しは静かな場所に住みたい」という気持ちにもなりました。
ここ数年、ず〜〜〜と、気に入る物件を探していました。

そして、やっと見つかったのです。
2007年05月20日(日) 晴れ *** 1363
今日の天気も、快晴!
そして、今日もまた雲ひとつ無い、快晴である。

ところで、スイスのニュースから・・・
『2007/05/16 - 15:25  大反対、家庭の銃器
 先月、26歳の男性が家庭の銃を持ち出し、ホテルのレストランに向けて発砲。71歳の男性が死亡、4人が負傷するという事件が
起こっている。
 スイスでは、民間兵が銃器を家庭に保管しているが、そのわりには事故が少ないといわれていた。ところがここ数年、この銃器に
よる事件が急増。スイス人の多くが家庭保管に反対。ミシュリン・カルミ・レ大統領も反対の意を表明した。
 およそ160〜200万の銃器がスイスの家庭に保管され、年間約300件の事故が起こっているという。
スイスの調査機関「イソパブリック ( Isopublic ) 」が1203人のスイス人を対象に行った調査によると、スイス人の3分の2が、「家庭
での銃器保管」に反対している。また、いくつかの政党などが一緒になって5月25日に、保管反対のイニシアチブを発議するという。

 66%のスイス人が「家庭での銃器保管」に反対、これを女性に限ると反対数は76%になる。また77%の人が「例え銃器が軍の
武器庫に保管されても、任務はきちんと遂行できる」と答えた。
さらに、31.7%の人が「もし、銃器が家庭に保管されていなければ、惨事は避けられたであろう」と答えている。
 全州議会 ( 上院 ) の安全政策委員会が提案した「弾薬は軍の武器庫に保管し、銃器は家庭に保管する」という妥協策に関しては、
55%の人が反対、42%の人が賛成した。

 「かつて、国民の安全対策として行われていたことが、国民を脅かすことになっている」とカルミ・レ大統領は家庭での銃器保管に
反対し、「家庭に銃器を保管すべきだという法的根拠はない」と語った。
一方、スイス射撃連盟会長、リタ・フーラー氏は「スイス民間兵が、家庭に銃器と弾薬を保管するのは、スイスの伝統であり、文化で
あり、アイデンティティーの問題」と言う。
いずれにせよ、5月25日には、社会民主党 ( SP/PS ) と他のいくつかの政党、及びいくつかの機関が一緒になって「銃器の家庭
保管反対」のイニシアチブを発議する予定である。

 最近の調査によると、殺人事件のうち、3分の1が兵役中の保管銃器によるもので、自殺の68%も同じく、こうした銃器によって
なされている。
このような惨事の中で、最も注目を集めたのが、コリンヌ・レイ・べレ家の事件。かつてのスイスのスキーチャンピオンであったコリン
ヌ・レイ・べレ氏と弟が、夫によって殺害され、夫もその場で自殺した。』
Swissinfo
http://www.swissinfo.org/jpn/front/detail.html?siteSect=105&sid=7745019&cKey=1178713886000

だ、そうだ。
アメリカでも日本でも銃による殺人事件が後を立たないが、ここスイスでも年間300件の事件が起こっているとか。。。。
2007年05月19日(土) 晴れ *** 1362
今日の天気も、快晴!
雲ひとつ無い、快晴である。
午前中は、妙高市訪問団の方々をフィルストにご案内する。
バッハアルプゼーなどへのハイキングコースには、まだまだ残雪が多く歩けないが、しかし、ゴンドラから見るグリンデルワルトの村、
白い新雪を被ったアルプスの山々の景色は、もうサイコー!である。

昔、グリンデルワルトに住んでいて、今はダボスに移り住んだ子供たちの幼ななじみの家族が6年ぶりにグリンデルワルトにやって
来た。一緒に昼食を取りながら、昔話に花が咲いた。
フィルストにて(訪問団) 幼ななじみの家族と共に
2007年05月18日(金) 晴れ *** 1361
今日は、晴れの天気。
朝、グリンデルワルト駅に行くと、シーズンオフとはいえ、日本人、韓国人、中国人、インド人などの団体客と、現在丁度「昇天祭」の
休日なので、ヨーロッパからの観光客も多く、ユングフラウヨッホへ向かう電車駅は、非常に混んでいた。

夜には、グリンデルワルトと友好親善都市を結んでいる新潟県妙高市からの訪問団が来ているので、その訪問団の歓迎会がグリン
デルワルト役場と観光局の主催で行なわれた。
新潟県妙高市からの訪問団
2007年05月17日(木) 雨/晴れ/雨 1360
今朝は、またまた雨模様。そして気温も低い。
午前09時00分。グアルダのホテルをチェックアウトし、ポントレジーナへ。
お客様はここから「ベルニナ急行」に乗ってティラノへ向かう。
私は、車で荷物を積んで併走する。
ベルニナ峠(標高2330m)では、粉雪が舞っていた。そしてガスで真っ白!!
ティラノ(イタリア領)に入ると、天気は回復し、徐々に晴れ模様となった。
昼食後、イタリア領内を走り、コモ湖からルガーノ湖を経由してルガーノへ。(再びスイス領内に戻る)
そしてさらにベリンツォーナに行く。
ここで、世界遺産のカステルグランデを見学する。
その後、お客様の今夜の宿泊地であるロカルノへとやって来る。
もうコモ湖からは、太陽がギラギラと輝き、暑いのなんのって!
雨〜粉雪〜太陽・・・と、めまぐるしく変わる天候と気温。

ロカルノからグリンデルワルトへ帰る途中のサン・ゴタルド・トンネル付近では激しい雨模様。
その雨は、ずっとグリンデルワルトまで続いていた。(午後09時30分に到着した)
(ロカルノからグリンデルワルトまでは、ノン・ストップで走って丁度3時間。240kmであった)
グアルダからグリンデルワルトまでの、本日の走行距離は520kmである。

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年05月16日(水) 晴れ 1359
今日は、うって変わっての青空。晴天である。
但し、気温は低い。結構肌寒い。標高が1653mであるからして、寒いのは当然か?

午前09時にグアルダのホテルを車で出発。
ツェルネスから南に下り、ミュスタイヤの村へ。
1983年に世界文化遺産に指定された「聖ヨハネ・ベネディクト会修道院」を見学する。

の〜んびりと見学し、時間を過ごし、昼食を取って、そしてグアルダに戻ってきた。
天気は良いし、穏やかで、草花も綺麗で、素晴らしい日であった。
また、今回のお客様は「駆け足旅行」が嫌いで、有名観光地も好きではなく、田舎に滞在してゆっくりと旅するのが好きな方なのだ。

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年05月15日(火) 1358
朝から雨模様。そして、寒い。
午前8時にグリンデルワルトを車で出発。一路、チューリッヒ空港へ。
イタリア経由で日本から来られるお客様を出迎えする。(3名様)
空港でミートし、その後すぐにザンクト・ガレンへ。
ザンクト・ガレンで昼食を取り、1983年に世界遺産に登録されたザンクト・ガレン修道院と図書館を見学。
その後、車でリヒテンシュタインの首都、ファドーツへ。
ここの観光案内所でパスポートに入国スタンプを押してもらい、郵便局で記念切手を購入。
そして、マイエンフェルトの「ハイジの泉」を見学。
そして、クロスターから「カートレイン」に乗って、宿泊地のグアルダに到着したのが午後6時40分ごろ。
(今日の走行距離は、387kmである)
グアルダでは、粉雪がチラホラと降っていて、部屋の暖房もしっかりと入っていた。
外は、寒いよ〜〜。

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年05月14日(月) 晴れ/曇り/雨 *** 1357
今日の天気は晴れのち曇り。
そして、午後から崩れ始め、雨模様となった。
さらに、強風が吹き荒れていた。

娘の仁子が風邪を引き、それが家内に移った様子。
旅の疲れが出たのだろう。。。。
2007年05月13日(日) 晴れ 1356
スイスへ戻ってきての翌日。
家族全員、死んだように熟睡中。
誰一人として早く起きては来なかったが、おやじは午前7時すぎには目覚めてしまい、長男も7時30分ごろには起きてきた。
我が家の女性2名はまだまだ。。。。

荷物の片付けや、その他の雑用に追われる。
天気が良いので、暖かい。
牧草地に咲く花の種類も豊富で、色とりどり。とても美しい。。。。

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年05月12日(土) *** *** 1355
午前06時00分。大阪の実家を車で出発。
大阪伊丹空港へ。
土曜日の早朝とあって、車はスムーズに高速道路を走り、伊丹空港には、午前06時40分ごろには到着した。
スイスへ帰る日である。
伊丹から成田への全日空2176便に初めて乗る。
いつもは、成田に前泊して、成田からスイス・インターナショナルに乗るのだが、今回は色々な都合で、大阪から成田経由で、その
ままスイス・インターナショナルに乗ることにしたのである。

チューリッヒまで荷物を大阪からスルーにしたかったのだが、チケットをスイス・インターナショナルと全日空とで別々に購入したので、
「不可」と言われた。
成田で一旦荷物を引き取り、そして国際線のチェックイン・カウンターで再度荷物をチェックインする必要があると言う。
伊丹から成田経由でチューリッヒまでは、成田空港での時間が1時間15分しかない。
以前にスイス・インターナショナルに聞いたところ「時間は大丈夫」と言われたのだが・・・
一応、預けた荷物がすぐに出てくるようにビジネスクラスのタッグをつけてくれた。

伊丹からの全日空2176便は、伊丹発08時00分を約25分も遅れて出発した。(何のお詫びも無く・・・・)
家内は時計を気にしてイライラしている。
私は、機内でキャビン・クルーのお姉ちゃんに言った。
「成田空港からスイス・インターナショナルでチューリッヒに飛ぶのですが、すでにこの飛行機は遅れて飛んでいます。成田空港の
 係員からスイス・インターナショナルの係員に、遅れる旨の連絡をしてくれませんか?」
ニコニコと愛想のいいおねえちゃんは、
「便名は? お名前は?」と聞いてきて、
「他の国際線に乗り継ぎのお客様もいらっしゃいます。できるだけ対処いたします」と、ニコニコと答えてくれた。

富士山が左手に見える。
しかし、家内は時計を気にして気が気でない。
すでに時刻は午前09時00分。

降下体勢に入るころ、キャビンクルーのお姉ちゃんが言いに来た。
「機内からでは、地上に連絡が取れません。ですので、なるべく前方のお席に移動してください。」
そういうと、我々を先導して前方のビジネスクラス(?)の座席に移動した。
成田到着は、午前09時40分ごろ。
早く機内から出て、荷物のターンテーブルまで来たものの、肝心の荷物がなかなか出てこない。
家内を先にスイス・インターナショナルのチェックイン・カウンターに行かせた。

出てきた荷物をカートに載せ、4階の出発ロビーに向かう途中で、家内と会った。
「カウンターはクローズしたので無理です! と 言われた」と、家内。
それでも、走りながらチェックイン・カウンターに向かうと、数人で対応してくれた。
電話をかけてなんとか乗れるようにしてくれる人。
ボーディングパスを発券する人。荷物にタッグをつける人。荷物を別のルートで運んでくれる人。
結局、OKとなって、係員の先導でチェックインカウンターから手荷物検査、出国検査、さらに、搭乗ゲートまで走る、走る、走る。
搭乗ゲートに到着したのが午前10時10分。搭乗のアナウンスが始まったところだった。
「間に合った〜〜!!」
ヤレヤレ。。。。
汗がドドドーーーと出る。
おかげさまで、なんとか予定通りの飛行機に乗ることができた。

機内の座席は、一番最後の44番。(前もって予約していたのは34番だったのだが。。。。)
もちろん、機内は満席である。

今後、当日の大阪→成田→チューリッヒは、絶対にしません。
成田で前泊にします。これは、教訓です。
皆さんも、当日の移動にはご注意を!
(飛行機が遅れたり、何か事故が起こったりしたら、もう完全に不可です。乗れません。。。。)

全日空のキャビン・アテンダントはみな、若いおねえちゃんだったが、スイス・インターナショナルになると、年齢が上がってしまう。
おばちゃんが殆どだった。(まあ、外資系の航空会社では、どこでも一緒だが・・・)

そして、全日空ではニコニコ顔の対応だったけど、スイス・インターナショナルでは、殆ど笑顔は見られなかった。
どのキャビン・アテンダントも、事務的な対応である。(まあ、外資系の航空会社では、どこでも一緒だが・・・)
あんまりニコニコ顔も、気持ち悪い場合もあるが。。。。

日本へ行くときは4月で、今日は5月。
当然、機内の映画の内容も変わっているだろうと、期待していたら、4月と同じ内容にガッカリ。。。
しかも、日本語の映画は1本のみ。あとは、英語、ドイツ語、フランス語、中国語、だった。
新会社設立後、昨年には初めて赤字から黒字に転化したスイス・インターナショナルなので、一生懸命に節約、努力して黒字に
なったんだろう。
(サービスの低下は仕方ないか・・・スイス→日本への航空会社があるだけありがたいと感謝しなければ・・・)

午後3時30分(スイス時間)に、チューリッヒ空港に到着。
車でグリンデルワルトへ戻る。
そして、ヤレヤレと、みなグタ〜〜〜〜と疲れて、おやすみする。
富士山が綺麗に見えていた
2007年05月11日(金) 晴れ *** 1354
天気は晴れ。
お墓参りをしてから、近くの「100円ショップ」に行く。
これは、長女のリクエストである。が、行けばついつい買ってしまうんだよね。おやじも。。。(苦笑)

スイス帰国前なので、色々と細かな買い物をする。
明日は、大阪から成田経由でスイスへ帰る。大変である。

以前は、関西空港にもスイス航空(当時)が飛んでいて、大阪に住む我々としては非常に助かっていたのだが。
それも例の「9.11」以降の乗客減で関西便がなくなり、そしてスイス航空の倒産。
色々とありましたな〜〜。

実家最後の夕食は「しゃぶしゃぶ」。
日本には2週間も滞在したのに、実家にはわずか1日半の滞在でした。。。(トホホホ)
2007年05月10日(木) 曇り/雨 1353
今日も、天気は曇り。そして風が強い。
ただ、天気は西のほうから崩れており、大阪はすでに雨が降っているとのことだった。

午前06時30分発のリムジンバスに乗り成田空港へ向かう。
子供たち4人と引率者1名の5名が、スイスへ帰国する。

見送ったあと、おやじと家族、そして長女の友人は成田からリムジンバスで羽田空港に向かう。
そして、全日空便で伊丹空港へと飛ぶ。
伊丹空港からトヨタ・レンタカーを借りて、大阪のミナミへ。
道頓堀にて、まずはうまい「ラーメン」を食べる。(「神座」という有名なお店である)
そして、ビックカメラに行き、買い物をする。

やがて実家に戻り、ヤレヤレ、である。。。。
2年ぶりの実家では、お寿司の夕食。
日本食は旨いよな〜〜〜。

「中学生訪問団の様子E」の、写真をどうぞ
2007年05月09日(水) 晴れ 1352
今日の天気も、晴れ。
ホームスティしたご家族の見送りを受けて、乗鞍高原をあとにする。
途中の各学校では、小中学の生徒さんたちがみなで、待っていてくれて、そして見送りをしてくれた。

松本市役所のマイクロバスで一路、東京へ。
そして、新宿のホテルまで送って頂いた。(役所の職員の方が同行してくれた)

ホテルにチェックイン後、地下鉄を使って浜松町へ行き、お寺を見学し、東京タワーに上る。
東京タワーには、最近よく来るが(訪問団と一緒に)、いつ来ても、混んでいる。
日本人でもやっぱり地方から来ると一度は登ってみたいタワーなのだろう。
しかし、いまどき、入場券を途中の展望台までしか買えない(その後上の展望台までは、また途中で別に購入する)というのは「?」で
あるし、現金オンリーでクレジットカードが使えないのも「?」である。

浜松町からはJR山の手線を使い、地下鉄とJRをそれぞれ体験させた。
新宿に戻ってきて、自由行動(買い物時間)を取り、その後、「居酒屋」で夕食。
居酒屋だと、和食だけでなく、おいもやソーセージなどもあるし、食べたいものが写真つきで分かるので便利だ。

そして、最後の最後は、ビックエコーの「カラオケ」で歌を歌う。
当然ながら、日本語の歌は歌えないが、英語の歌なら「まかしとけ!」で、子供たちはどんな歌でもガンガンと歌っていた。
(ただ、一番歌っていたのは、わが長男の一康であるが。。。。)
で、結局3時間も、カラオケに居た。(苦笑)

「中学生訪問団の様子D」の、写真をどうぞ
2007年05月08日(火) 晴れ 1351
今日の天気も、晴れ。

朝から大町方面にある「和紙作り」の工場を訪ねる。
ここで、和紙作りに挑戦する。
生徒たち、それぞれ思いを入れながら、さまざまな木の葉、草花などを取り入れて、作っていた。

その後、松本市内に戻り、昼食と自由行動。いわゆる「お買い物タイム」である。
子供たちも、グリンデルワルトの友達や家族に、お土産を買っていかねばならない。
まあ、どこでも一緒である。

午後5時から、2つの中学と市役所合同の「さよならパーティー」が、開かれた。
グリンデルワルトの子供たちは準備していた歌を歌い、踊りを披露し、日本側の生徒たちや先生、父兄なども交えて一緒に踊る。
日本の中学生たちからは、歌の披露があった。
また、昨日学校で書いた習字のお披露目もあった。
みんな、なかなか上手に書けていた。

「中学生訪問団の様子C」の、写真をどうぞ。
2007年05月07日(月) 晴れ 1350
天気は、晴れ。

今日は、それぞれの学校訪問をする。
まずは、大野川小中学校にお邪魔する。
ここでは、各クラスを見学し、太鼓とアルプホルンの演奏を見学。
そして、習字に挑戦するが、みな、興味不覚に、そして徐々に上手く書けていた。
学校の給食を一緒にいただく。(グリンデルワルトには給食制度はない。お昼には自宅に帰って家族と食べるのだ)

その後、午後には安曇小中学にお邪魔する。
(旧安曇村には、2つの小中学校があり、今まではこの2つの中学生たちがグリンデルワルトに3年に1回の割合でホームスティに
 訪れてきていた)

安曇中学では、「お餅つき」「剣道」と、日本的なことを用意してくれて、グリンデルワルトの中学生たちは、喜んで参加していた。
特に、「剣道」では、「サムライ」みたいで、子供たちは、遠慮して相手方=先生の「面」を叩いていた。(苦笑)
ここでも、生徒たちの見送りを受けて学校を後にした。

「中学生訪問団の様子B」の、写真をどうぞ
2007年05月06日(日) 1349
午前08時30分 出発。天気は雨。
市役所に松本市長を表敬訪問する。
教育長も同席され、グリンデルワルトからの中学生訪問団と面談する。

その後、旧安曇村方向に走り、途中の東京電力の奈川渡(ながわど)ダムを見学する。
スイスにも大きなダムは多いが、中学生たちは興味深く見学していた。

その後、乗鞍高原に上がり、学校や父兄や市役所の方々が用意してくれた「バーベキュー」の昼食を取る。
本当は、ハイキングする予定だったのだが、生憎の雨模様。
日曜日と言うこともあって、多くの先生方や父兄や中学生たちが集まってくれた。
昨年グリンデルワルトにホームスティで滞在した中学生たちも居て、グリンデルワルトの中学生たちと再会して賑やかだった。

午後には、中学生たちは各ホームスティ先に分かれて行った。
おやじたち引率者4名は、旅館に宿泊することとなる。

「中学生訪問団の様子A」の、写真をどうぞ。
2007年05月05日(土) 晴れ 1348
午前08時すぎ。
グリンデルワルトからの中学生訪問団が成田空港に、スイス・インターナショナル168便で到着。
成田空港のホテルに宿泊したおやじのファミリーは、成田空港で彼らと合流する。
松本市役所の車(マイクロバス)に乗車し、一路、松本へ。(市役所の職員さんが同行してくれた)
途中のドライブインで、まずは「たこ焼き」を試してもらう。
みな、「美味しい」と、食べていた。
別のドライブインでの昼食では、ラーメンやカツ丼を。
これも、それぞれ「美味しい」と食べていた。

スイスから到着した5名の中学生と引率者の女性は、日本は初めての訪問である。
おやじの子供たちは、「水を得た魚」のように、日本のことをアレコレとドイツ語で説明していた。

松本の浅間温泉にチェックインしてから、松本市内観光に向かう。
まずは、国宝の「松本城」は、ゴールデンウィークの観光客でごった返しており、天守閣に登るには長蛇の列。
で、やめた。次に、「開智学校」に行く。

夕食は、温泉宿の会席料理。
お座敷に正座できないので、足を投げ出す男子生徒たち。
生魚、魚介類など初めて見る食材に果敢にアタックする生徒も居れば、最初から食べない生徒も居る。
(まあ、仕方ないだろう。。。。)
温泉は「熱い! 熱い!」と、出てきた顔はみな真っ赤だった。(笑)

「中学生訪問団の様子@」の、写真をどうぞ。
2007年05月04日(金) 晴れ *** 1347
今日の天気は、晴れ。
午前06時50分のリムジンバスで成田空港に向かう。
公式訪問団の帰国の日である。
成田空港は、今日も混んでいた。
(どこが不景気なんだろう〜〜〜?と、毎回思ってしまう)

その後、一旦成田の全日空ホテルにチェックインし、常連のお客様と都内へ出る。
このお客様のお世話になる。

都内からの成田エクスプレスが、すでに終了したので、仕方なく日暮里に向かい京成電車で成田に向かうことに。
しかし、京成ライナーもすでに終了。
(空港へ行く特急って、JRも京成電車も意外と早い時間に終了するんだな〜〜と、思う)

そこで、急行電車(?)乗って行くが、成田空港では思わず第1ターミナルで下車した。
(JALは第2ターミナルだが、スイス・インターも全日空も第1ターミナルなので、つい・・・)
で、到着ロビー外でタクシー乗り場に行くと、タクシーが居ない。
遠距離方面のタクシーが1台止まっていたので、運転手さんに聞くと
「この時間は、第1ターミナルにはタクシーは来ないよ」だって。
「第2ターミナルのほうがまだ賑やかだし、タクシーの台数も多いよ」と言う。
そこで、第2ターミナルに行くべく、ターミナルバスを待つことに。

すると、リムジンバスの売り場の人に
「第2ターミナル行きのバスは、何時に来ますか?」と、聞くと、
「もうバスはないですよ。終わりました・・・」とのこと。
「じゃ、第2ターミナルへ行く方法は?」と、聞くと、
「電車で戻るしか無いですね〜」

そしたら、空港の警備員の男性がやってきて、
「まもなく空港が閉まります・・・」とのこと。
「えっ!?」
時計はまもなく午後11時になろうとしていた。
11時に成田空港が閉まるとは知らなかった。。。。。
(日本の空港は、ハブ空港にも24時間空港にもなれない。だって、午後11時には閉まるんだよ!)
で、どうする?

警備員さんが、最寄のタクシー会社の電話番号を教えてくれて、そこへ電話する。
タクシー会社の担当者は
「空港内に入れない会社なので、3番目のレーンで待っていてください」とのこと。
つまり、タクシーやバス専用レーンではなく、一般車と同じレーンのこと。
待つこと10分ほどで、タクシーはやってきた。
そして、なんとか無事に全日空ホテルに帰ってこれた。。。。。
ヤレヤレ、である。
2007年05月03日(木) 晴れ 1346
今日は、うって変わっての晴天である。
宇奈月温泉に宿泊したものの、トロッコ電車には乗らずに、午前07時30分に専用バスで出発。
一路、世界文化遺産の「白川郷」に向かう。

ゴールデンウィークの再開(?)とかで、道が混んでいるから早く出発したものの、そんなに混んではいなくてスムーズに動けた。
白川郷で自由時間を取り、そして、昼食を取る。
白川郷は、世界文化遺産に指定されてから観光客がドドドドと押し寄せており、村を守る方針がまだハッキリと決まっていないとか。
何かの雑誌で読んだ。
早く手段を講じないと、後の祭りになってしまう。。。。
(ただ、飽きやすい日本人のこと、いつまでブームが続くか、、、)

その後、名古屋に向かう。
これも道が混んでいるかも?とのことだったが、混んでいたのは反対車線で、ずら〜〜〜〜〜と、車が渋滞していた。
(あっちの車線でなくて良かった・・・と、つくづく思った)

名古屋からは「のぞみ」に乗車して東京駅へ。
荷物が無いので、東京駅から中央線快速に乗って新宿へ。
人ごみにまぎれて迷子にならないように、グリンデルワルトの村旗を先頭に歩く。
(東京の駅の混雑気分を味あわせたかったので・・・)

新宿駅内の旅行代理店に、海外旅行のパンフレットがずら〜〜〜と並んでいたが、スイス旅行のパンフレットの表紙が殆どがグリン
デルワルトの景色だったので、スチューダー村長が喜んでしまい、旅行代理店の中に入って、カウンター嬢に
「私は、この写真の村に住んでおり、ここからやってきた!」と盛んに説明していたが、カウンター嬢はキョトンとしていた。(苦笑)

夕食は、恒例となった高層ビルにある某神戸ステーキのお店で、美味しい霜降りの神戸牛を頂く。(サイコーー!)
そして、公式訪問団の「最後の晩餐」となる。

「公式訪問団の様子D」の写真をどうぞ。
2007年05月02日(水) 1345
昨夜から激しい雨模様。
いわゆる「ドシャ降り」である。
今朝の上高地は雨の天気で幕が上がった。
午前07時30分。
早朝の中、グリンデルワルト・クラブ会員の見送りを受けて、我々訪問団が朝一番で出発した。
(スーツケースなどの大きな荷物は、宅配便で東京のホテルへと送って身軽になった)

専用バスで一旦松本駅へ。
松本市に寄贈した木製のベンチが松本駅に設置されるというので、それを見に行った。
その後、途中から大町のボランティアのガイドさんをピックアップして、扇沢へ向かう。
扇沢の駅に電話したら、「急げば間に合う」と言うのに、バスの運転手は「間に合わない」と言いながら、ゆっくりと運転。
結局、3分違いで扇沢からの電気バスに乗り遅れ、1時間後のバスに乗る羽目に。

おやじにとっても初めての「立山黒部アルペンルート」である。(だからこそ、今回の訪問団のコースに組み入れたのだが・・・)
ゴールデンウィークでありながらも、丁度谷間の日。さらに、悪天候も重なって、ルート上は予想以外に少ない観光客に良かった。
各乗り物も待ち時間を取ることもなくスムーズに動けた。
ただ、とても残念なことは、一番期待していた「雪の大谷ウォーク」が、悪天候のために外に出れず。したがって、雪の壁を見ることが
できなかったことである。(外では、強風が吹いていた)
ガイドの方いわく「例年は約20mある雪の壁も、今年は雪不足のために約14mほどしかない」とのこと。
それでも14mの壁を見たかったが、、、、、(ザンネン!)

バスで美女平へと下山するが、真っ白なガスでな〜〜んにも見えず。。。(苦笑)。
訪問団のメンバーも、天気の悪い日にユングフラウヨッホへ上がってくる日本人観光客の気持ちが分かった、、と言っていた。(苦笑)
立山までくだり、専用バスで宇奈月温泉へと向かう。

「公式訪問団の様子C」の写真をどうぞ。
2007年05月01日(火) 1344
午前08時30分。
ホテルを出発。松本市役所の方々の案内で、松本市内観光に向かう。
天気は、あいにくの雨模様。そして、肌寒い。
新しくオープンしたという「山と自然博物館」を見学。ここには、アイガー東山稜に初登頂した槇有恒氏がグリンデルワルトから持ち
帰ったベントのピッケル、アイゼン、キスリング製のリュックサックなどが展示してあった。
展望台から市内を一望する。その後、松本市内の旧市街を散策する。

午前11時からは、旧安曇村や関係各位との「歓迎昼食会」が催され、懐かしい顔ぶれの方々と再会する。
午後1時からは、「松本市制100周年記念式典」が芸術舘で行なわれ、0歳から100歳までの松本市民の方々が登場された。
午後3時過ぎに終了。
その足で、今度はバスで上高地に向かう。
上高地では、恒例のアルペンホテルにて「グリンデルワルト・クラブ総会兼懇親会」を開催する。
日本全国からご参加いただいたクラブ会員とグリンデルワルトからの訪問団、そして松本市役所安曇支所の方々を含め総勢65名の
方々で行なう。
今まで参加してきた歓迎会や記念式典と違い、私自身がオーガナイズしているクラブ総会なので、気分も楽に、そして和気あいあい
と行なうことが出来た。(ただ、時間が目一杯なので、あわただしく、参加された方々には申し訳なく思っている)

グリンデルワルトからや関係各位から提供して頂いた賞品が当たる抽選会も大騒ぎで行ない、1等賞のスイス・インターナショナルの
無料航空券は、女性の方に当たった。
会員が演奏するスイス音楽で、恒例の”輪になって踊る”踊りで、締めくくった。

短くも、楽しい会合となった(と、自負している。。。。)

「公式訪問団の様子B」の写真をどうぞ。