おやじの つぶやき

 グリンデルワルトに住む、安東一郎=おやじ が、特にテーマもなく、毎日の変化、 
 行動、思い=気持ち、その他を とりとめなく、つぶやくコーナーです。
 多少、個人的、傾斜的、一方的、一面的、勝手気ままに書いていますが、お許しを。 
 この「おやじの つぶやき」についてのご意見がありましたら、「ここ」へ.。
 ご批判、激励、賛同、反対、その他、なんでもOKです。
 (但し、匿名のメールは無視しますので、お名前をちゃんと書いて来て下さいね)

 また、「写真クイズ」などの回答は
「ここ」へ回答をお送り下さい。
なお、  をクリックして頂くと、その日の写真が御覧頂けます。
「おやじのつぶやき」の写真一覧
「おやじのつぶやき」(2007年07月分) 「おやじのつぶやき」 表紙 「おやじのつぶやき」(2007年09月分)

2007年08月30日(木) 晴れ *** 1461
今日の天気は、曇り空。

取材の仕事も終了し、貯まっている仕事を事務所で片付けるが、なかなかはかどらない。
色んなことをしなければ、ならない。。。。。(あ〜あ・・・・・)

ところで、我が家は最近、改築した。
こちらの習慣では、家を新築したり、改築したりすると、その工事関係者を呼んで、「アペロ」をするという。
(「アペロ」は、工事関係者だけでなく、近所の人々だけ、そして、友人知人を呼んでも行なうというから、最低は3回はしなけれ
  ばならない、のだが・・・・)
そのために、1週間ほど前から「招待状」を作り、各会社や関係者宛に文書で郵送しなければならない。

夕方の6時30分ごろ、ゾロゾロと、集まってきた。
銀行、木材、床、電気、上下水、その他、各種関係の工事に携わってくれた方と、その会社の親分達(つまり、社長さん)が
集まってくれて、その数20名。
白ワイン、日本酒、ビール、ミネラルウォーター、リベラ、オレンジジュースなどの飲み物。
軽食のスナック、各種ハムやチーズの盛り合わせ、そして、手作り巻き寿司などを用意。
期待してかどうか分からないが、巻き寿司がアットいう間に売れてゆく。
飲み物は、日本酒も試し程度で飲んでいたが、やはり白ワインが断然に売れており、12本のワインが瞬く間になくなった。

で、2時間ばかりで、みんな早くに帰るだろう・・・との当方の予想は、簡単に覆されて、第1団が帰ったのが、午後9時30分頃。
で、それからも延々と話しが続き、第2団(最終組)が帰ったのが、午前1時。
それから、後片付けをして、終わったのが午前2時30分。

いやぁ〜〜〜、こんなに掛かるとは、想像もしなかったこと。
疲れた〜〜〜〜。
テーブルで ソファーで 集まった車、車、車
2007年08月28日(火) 曇り/雨+雪/曇り 1460
今朝の天気は、曇り空。
そして、天気予報では、徐々に崩れてくるという。(あ〜あ・・・・)

クライン・マッターホルン・バーンで、標高3883mの「クライン・マッターホルン」展望台に上がる。
すでに、多くのスキー客、ハイキング客、そして登山客が来ており、近くの「ブライトホルン」(標高4164m)には、多くの登山客
の姿があった。
行きの大型ロープウェイの車内にいたスキー専門家らしい男性達と話しをしたら、「エラン・スキー」のテスト・チームで、その
中に長野オリンピックの大回転で優勝した選手が居た。(名前を聞いたが、忘れた・・・)

さて、雪の上に出て、登山ガイド氏を先頭に、ザイルを結ぶ。
スキーやスノーボーダーが多いが、ここは、実は、氷河の上である。
これから、氷河ハイキングをするのであるからして、登山ガイド氏とザイルを結ぶのは当然の行為である。
(下部には、途中にクレバスもあるのだ!)

なんとなく持っていた天気だったが、徐々に雲行きがおかしくなり、黒い雲がドドドドーと押し寄せ、雪が舞い始め、遠くで雷が
轟き始めた。
「やばいな〜」と、おやじは思う。
そんな悪天候の中でも、目的地に向かって歩くしか方法は無く、撮影もままならないとは思うが、みな、無言で歩いていた。
目的地の「テスタ・グリジア」(標高3480m)に近づくと、黒い雲も去って、そして青空が見えてきた。
「なんという天気じゃ〜〜、今日は・・・・」

で、今回の「NHK ハイビジョン」の「ザ・アルプス」は、スイスからイタリアへと、進んでゆくのである。。。。。

撮影終了後、あらかじめお願いしてあった圧雪車(ピステン・ブリ)2台に分乗して、テオドール氷河を「トロッケナー・シュテック」
に向かって下り降りてゆく。
そして、ゴンドラ・バーンを乗り継いで、ツェルマットへと降りてきた。
これで、NHK取材の仕事も無事に終了である。

撮影スタッフのお見送りを受けて、駅に向かい、電車でテッシュへ。
そして、車でグリンデルワルトへ戻ってきた。
12日間の取材も終了した。
(撮影スタッフの方々は、明日からイタリに向かい、さらに1ヶ月間滞在するという。。。。お疲れ様・・・・)

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月27日(月) 晴れ 1459
今朝の天気も、青空!

今日は、まず地下ケーブルカーに乗って「スネガ」(標高2293m)に向かう。
ここで、案内役の登山ガイド氏と出会って、ゴンドラ・バーンで「ブラウヘルド」(標高2577m)へ上がる。

ここからハイキングである。
目的地は「フリューアルプ」(標高2607m)の山小屋である。
途中の「シュテリーゼー」(標高2537m)で、逆さマッターホルンを狙ったが、風が全然止まず、結局諦めた。
ハイキングで「ブラウヘルド」に戻り、ゴンドラと地下ケーブルカーを乗り継いでツェルマットへと戻ってくる。

夜は、明日が最後の取材日であるが、おやじと家内の両名は、明日の撮影終了後、グリンデルワルトへと戻るので、今夜が
最後の晩餐となる。
そこで、日本食rストラン「妙高」で、みなで最後の会食を持つ。

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月26日(日) 晴れ 1458
今朝の天気も、青空!

今日は、ツェルマットの街中の撮影である。
電気自動車に乗って、街中を案内してもらう。
旧市街にある古い穀物倉庫街、最近出来た新しい別荘、メインストリートや、最近移転して新しくなった「マッターホルン・ミュー
ジアム」(昔の「山岳博物館」)など。
この新しく作られた「マッターホルン・ミュージアム」は、昔の「山岳博物館」と違って、なかなか興味深い。
(今度ツェルマットに行かれる方は、ぜひとも、覘いてみて欲しい)

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月25日(土) 晴れ 1457
今朝の天気も、青空!
まず、ホテルをチェックアウトしてから車で「フィエッシュ」の町が見下ろせる高台に行く。
その後、ブリーク駅に向かい、そしてブリーク発のローカル電車にスタッフは乗り込み、車内や車窓からの景色を撮る。
私は、車で併走する。
一旦、テッシュ駅でスタッフと合流し、再び道を引き返して、途中の景気に良い場所で、次のローカル電車を撮影する。

新しく完成したテッシュ駅は、屋内駐車場も大きく、団体バス乗り場やタクシー乗り場も綺麗に完成している。
分かりやすく、そして、使いやすくなった。

テッシュからは「シャトル・トレイン」でツェルマットに入り、まずはツェルマットを見下ろせる高台から、町並みを撮影する。
ツェルマットも相変わらず多くの観光客で賑わっていた。

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月24日(金) 晴れ 1456
今朝の天気は、真っ青な青空!
やった〜!
なんたって、今日は「アレッチ氷河」トレッキングの日である。
晴れてもらわないと、困る。。。。。

昨日、フィエッシュの登山ガイドセンターで打ち合わせをし、アイゼンなどを借りていた。
朝の7時50分に登山ガイド氏とロープウェイ乗り場で待ち合わせ。
揃ってロープウェイで「エッギスホルン」に上がる。
雲ひとつない、青空に気分はサイコー。

「エッギスホルン」のロープウェイ山頂駅(展望台)からは、すでにヨーロッパ最大の「アレッチ氷河」の全貌が見渡せる。
右手方向には、アイガー、メンヒ、ユングフラウの山々とユングフラウヨッホのスフィンクス展望台が見える。
正面には、アレッチ・ホルン、ビーチ・ホルンが。
左手には、ヴァイスホルン、マッターホルン、そしてミシャベル連山が見渡せる。
なんとも贅沢な展望台である。

ハイキングは、「エッギスホルン」のロープウェイ山頂駅(展望台)からガレ場などを経由して、「メーレレンゼー」の山小屋で
昼食。
その後、メインイベントの「アレッチ氷河」に降り立っての取材が始まる。
全員アイゼンをつけ、登山ガイド氏とザイルで結ばれる。
(今日の取材には、2名の登山ガイド氏と雇い、2つのグループに分けてお願いした)
天気も良くて、取材は最高だった。

帰りは、山小屋から、これまたあらかじめ用意してもらっていた小型トラックで「フィッシャーアルプ」まで帰る。
(徒歩だと、1時間30分掛かる)
が、最終のロープウェイの時間に間に合わせるため、登山ガイド氏の荒っぽい運転に、一時は崖下に転がってしまって、
一環の終わりかと、冷や冷やしたが、無事に到着。(ヤレヤレ・・・)

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月23日(木) 曇り/晴れ 1455
今朝の天気は、曇り、時々晴れという天気だった。
車で、フィエッシュから「モーレル」に行き、ここからゴンドラ・バーンで「リダーアルプ」に向かう。
そして、あらかじめ用意してもらっていたトラックに乗って「ヴィラ・カッセル」(Villa Cassel)へ。
徒歩では約30分で登りの距離だが、取材用の器材も多いので、車で行くのである。

この「ヴィラ・カッセル」とは、
『この地の美しい風景に魅せられたイギリス人銀行家アーネスト・カッセル卿が、夏の別荘として1902年に建てたものでした。
各地から招かれたゲストの中には、若き日のウィンストン・チャーチル卿もいたそうです。
しかし彼の死後、カトライン家に買い取られ一時ホテルとして営業をしましたが、1969年に閉館。
それからしばらく経った1976年からアレッチ自然保護センターとして新たな歩みをスタートしました。
ハーフティンバー様式の美しい外観や洗練された内装などからは100年の歴史を感じます。
アレッチの森を中心に自然保護に関する展示をみることができます。
宿泊用の部屋もあり、学生や研究者などのグループが合宿などに利用しています。』
(スイス政府観光局の資料より)

館内には、「ウィンストン・チャーチル卿」が宿泊した「チャーチル・スィート」などもある。

取材後、再びトラックに乗って「リーダーアルプ」から、今度はロープウェイに乗って「モーレル」に戻り、車で「ブラッテン」
(ブリークの近く)に移動する。そして、ロープウェイで「ベルアルプ」に上がる。
ロープウェイ会社に用意して頂いたトラックに乗って「リーダーフルカ」に行く。
ここも徒歩で約30分ほどの距離があるのだ。
この「リーダーフルカ」からは、「アレッチ氷河」の末端が見える。そして、先ほど取材した「ヴィラ・カッセル」も見える。

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月22日(水) 曇り/晴れ 1454
今朝の天気は、曇りだったが、徐々に回復していた。

昨日は、雨と雪で何も見えなかったのだが、やはりスイスのハイライトであるユングフラウヨッホが何も見えないのでは話しに
ならないと、朝から再びユングフラウヨッホに上った。
昨日とは打って変って、アイガーヴァンドからも、アイスメアーからも、そしてユングフラウヨッホでも、景色が見え始めていた。
特に、スフィンクス展望台では、初めはまだまだガスで真っ白だったが、待つこと1時間。
ガスが取れ始めて、遂に「メンヒ」の姿を撮影することが出来た。
(「ユングフラウ」は、最後まで見えなかったが・・・)

ユングフラウ、アイガーグレッチャーなどでの撮影を終了し、登山電車でグリンデルワルトに戻ってきたあと、荷物を車に積み
込み、カンデルシュテックへ向かう。
ここで、「カートレイン」に乗り込む車の撮影を行ない、「アレッチ氷河」の末端方向にある「フィエッシュ」に行き、宿泊する。

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月21日(火) 雨/曇り 1453
今朝の天気も、雨模様。
グリンデルワルトから登山電車に乗ってユングフラウヨッホに向かう。
ユングフラウヨッホでは、ガスと雪が降っており、真っ白!
まずは、「氷の宮殿」での撮影を行なう。
その後、「スフィンクス」展望台に上がる。

昔は、日本人だけが団体客で多かったユングフラウヨッホだが、最近は韓国人、中国人なども多い。
そして、もっと多いのがインド人である。
ユングフラウヨッホには、インド人専用のレストランもあるのだ。
じゃ、どうしてこんなにインド人がユングフラウヨッホへやってくるのか?
その回答は、、、、、
放映で明らかに!!!

アイガーグレッチャー駅に降りてきて、「槇 有恒」(まきゆうこう)氏が大正15年にグリンデルワルト登山ガイド組合に寄贈した
山小屋(現在は博物館として「アイガーグレッチャー」駅の上にある)を撮影する。
ただ、残念ながら天気が悪いので、山小屋の後ろにあるアイガーは見えなかった。。。(ザンネン!)

最後は、クライネ・シャイデックに下りてきて、伝統的なクライネ・シャイデック・ホテルを撮影し、ここに宿泊する。
(18名ほどの日本人団体客が1組と個人の外人さんが3組、そして我々取材班だけが宿泊客だった)

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月20日(月) 雨/曇り 1452
今朝の天気は、雨模様。
グリンデルワルトから車でラウターブルンネンへ向かう。
ここで、グリンデルワルトの登山ガイド氏の案内で、シュタウプバッハの滝とトリュンメルバッハの滝をハイキングしながら、
見て回る。

その後、グリンデルワルトに戻り、山岳救助隊グリンデルワルト支部の様子を撮影する。
隊長さんに話しを伺い、その後、グレッチャーシュルフトでの山岳救助訓練を撮影する。

なお、余談だが、隊長さんは、我が家の改築工事に来てくれた工事会社の社長さん。
また、山岳救助隊のメンバーは、山岳ガイド、ホテルのオーナー、工事屋さん、登山電車の運転手など、殆どが知り合いで
あった。(苦笑)

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月19日(日) 曇り/晴れ 1451
今朝の天気は、雲海(ガス)で真っ白だった。
午前06時30分にグリンデルワルトのホテルを車で出発し、ブスアルプへ上がる。
ここで、酪農家の仕事風景を撮影する。
丁度日曜日だったので、普段はグリンデルワルトに住んでいる酪農家の子供達(2名)も山の小屋に寝泊りしながら、牛の世話
を行なっていた。
ガスがふわぁ〜と消えたり、またどこからとも無く発生したり。。。。。変な天気である。
午前中は、このブスアルプで過ごす。

午後には、本来はヘリコプターでの撮影の予定だったが、ガスではヘリコプターも飛べないし、実際飛んでも景色は悪いので、
空撮を延期し、メンリッヒェンの展望台に4人乗りゴンドラ・バーン(ヨーロッパで最長のゴンドラ・バーン)に乗って向かう。
が、ここもガスで真っ白な世界だった。
でも、待って待って最後の最後にガスが晴れて、美しい景色を見せてくれていた。
最後は、アルプホルンの演奏家を訪ねる。

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月18日(土) 曇り/晴れ 1450
今日の天気予報は、晴れたり曇ったり・・・とのこと。
朝の08時05分発。グローセ・シャイデック行きのバス(村のバス=郵便バス)に乗車する。
バスは、日本人団体客を含んで、ほぼ満席の状態だった。

グローセ・シャイデックを午前09時にスタート。目指すはフィルストである。
登山ガイド氏を先頭に歩き、所々で説明をしてもらい、さらに、景色などを写すため、フィルストに到着したのが午後1時。
(1時間30分のハイキングコースを、約4時間かかって歩いた)

午後は、フィルストを午後2時30分頃に出発し、バッハアルプゼーへ到着したのが午後4時30分頃だった。
撮影後、バッハアルプゼーからフィルストに帰るのだが、この時間、日本人客も多い。
(午前中からユングフラウヨッホに登り、その後、フィルストへ来るためだ)
フィルストからの最終ゴンドラは、午後6時00分である。

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月17日(金) 曇り/晴れ 1449
今日の天気予報では、晴れたり曇ったり・・・とのこと。

ブリエンツのホテルを午前08時に出発し、車でインターラーケン・オストへ。
ここからBOBの登山電車に乗車し、車内や車窓を撮りながらグリンデルワルトへと向かう。
おやじは、車で先にグリンデルワルトへ。

グリンデルワルトでは、スポーツセンター前の公園で、グリンデルワルトを案内してもらう観光局のブラヴァント女史と出会う。
そして、ブラヴァント女史に、グリンデルワルト村内を案内してもらいながら教会へ。
ここに眠る彼女のおじいさん(サムエル・ブラヴァント)は、アイガー東山稜の初登頂者「槇 有恒」氏をガイドした事を紹介。
その後、村内を撮影しながら、最後は世界的に有名なピッケルの「ベント」氏の工場を訪ねる。
本職は板金屋さんだが、父親の仕事を受け継ぐ形で、息子さんは今でも時間が空いたときにピッケル作りをしているそうだ。
(年間で30本しか作らないそうで、夏場は忙しいので、時間のある冬場に作っているそうだ)

「今日の写真」(撮影風景)を、どうぞ。

息子と娘の学校が始まった。新学期である。
長男は、朝05時35分の電車(朝一番)でトゥーンの学校に週に1〜2回行く。
(その他の日にちは、グリンデルワルトの建築会社で見習い実習を行なう)
長女は、朝2番目の電車(06時35分)でインターラーケンの高校準備クラスに通う。
ただ、長女の場合は、火曜日からのスタートなのだが、まず2泊3日の学校からのキャンプに出掛けた。
ここで、新しいクラスメイトや担任の先生などと一緒に過ごすのだ。
そうすることによって、お互いの性格や人格や考え方などを最初に知るという。

「なるほど・・・・」と、おやじは思った。
日本じゃ、修学旅行という学校最後の旅行があるが、しかし、最初に旅行をしておけば、それぞれを良く知ることが出来る。
これからの1年間、クラスメイトとして付き合わなくてはいけないのだから。。。
その意味でも、よい旅行だと思う。
2007年08月16日(木) 曇り *** 1448
今日は、曇り空。
天気予報では、雨が降るという。

朝から車でベルンを出発し、チューリッヒ空港に向かう。
9日間ご一緒したお客様(ご家族)を空港でお見送りした。
その後、一旦グリンデルワルトに戻り、荷物を積みなおして、そしてインターラーケン・オストで取材チームを待つ。
NHKの番組の取材がすでに始まっており、最初の1/3部分は、おやじが出来ないので、弊社のスタッフが代わりに取材班に
同行していたのだが、ここで交代となる。
取材班は、ブリエンツから船でインターラーケン・オストにやって来た。
生憎、雨降りの天気なので、鈍よりした景色なのが残念だ。
おやじは、取材スタッフを載せてブリエンツへと戻る。(今夜の宿泊場所である)
なお、NHKハイビジョンの番組は、「The Alps」という2時間番組で、放送は来年の3月とのこと。
(スイス編以外に、オーストリア編、イタリア編とあり、ヨーロッパ・アルプスを6時間掛けて紹介する番組である)
お客様のご希望で掲載
2007年08月15日(水) 晴れ 1447
今日も、晴れ模様。
しかも、雲1つない、真っ青な青空である。

まず、クライン・マッターホルンに上がる。
360度の景色を堪能する。
遠くに、ヨーロッパ最高峰の「モン・ブラン」や、おやじの地元のアイガー、メンヒ、ユングフラウなども見えていた。
その後、一旦フーリまで下りて、今度はシュヴァルツゼーへ行く。
ここでも、形の良いマッターホルンを眺める。

ツェルマットに下山し、ホテルから荷物を受け取って、テッシュから車でスイスの首都、ベルンへ。
ベルンで簡単な市内観光(バラ公園、熊公園、さらに旧市街などを)し、ホテルにチェックイン。

現在「国会議事堂」は、外観の工事中(春から始まっていたが)であり、更に、ベルン駅前が大掛かりな工事中(8月から開始)
であり、バーンホフ・シュトラーセ(駅前通り)などが、地面を掘り起こしての工事中だった。(12月08日には、終了する予定)

それにしても、ベルン(都会)は、あつ〜〜〜〜い!
汗が山のように出てくる。(オーバーなぁ・・・・・)
午前中は、3883mの場所に居て、今は、500m辺りに居る。
これが、スイスなんだなぁ〜〜。

「今日の写真」を、どうぞ。

さて、日本のニュースから・・・
『終戦記念日 戦没者追悼式に6千人 戦没者の親は1人だけ   8月15日17時16分配信 毎日新聞
  62回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
天皇、皇后両陛下をはじめ、約6000人が参列した。
戦争犠牲者の高齢化が進む中、参列した戦没者の親は1人だけで、子や孫などの戦後生まれが目立ち、参列した遺族は
4776人で、45回目の追悼式で過去最少となった。
首相として初めて出席した安倍晋三首相は、式辞で過去の戦争でアジア諸国に与えた損害と苦痛への反省と追悼を表明
した。
  式典は正午前に始まり、柳沢伯夫厚生労働相の先導で天皇、皇后両陛下が入場。国歌斉唱に続いて、安倍首相が式辞
で「国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していく」と決意を述べた。
   正午からは黙とうがささげられ、天皇陛下が「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、世界の平和と我が国の
一層の発展を祈ります」とおことばを述べた。
その後、衆参両院議長、遺族代表らが追悼の辞を述べ、政党や各団体の代表らが献花した。
  国は7月、中国残留孤児に対して新たな支援策を決めたほか、原爆症に関しても今月、認定基準を1年以内に見直すこと
を表明するなど、今年になって戦後補償を巡る進展もみられる一方、戦争犠牲者の高齢化で平和の心をつなぐ世代の交代
が進んでいる。【北川仁士、岩佐淳士】    最終更新:8月15日17時16分』

そうか。今日は「終戦記念日」なんだ。
海外に住んでいると、しかも、夏のハイシーズンだと、日本の行事を忘れてしまいがちだ。
日本では、夏の甲子園球場で、球児たちや観客が1分間の黙祷を行なう時に「ああ、終戦記念日なんだ〜」と思い出させて
くれるが、これも日本のニュースをインターネットなどでもし見なかったら、きっと、今では忘れているだろう。
でも、「戦争も遠くなりにけり」だな〜〜〜。。。。。(しんみり・・・)
2007年08月14日(火) 晴れ 1446
今朝も、晴れ模様。
朝からマッターホルンがしっかりと見えていた。(天気予報では、雨の天気だったのだが・・・)
登山電車に乗ってゴルナーグラートに上がる。
今日も駅前や展望台などは、日本人客を含んで、外人の団体さんも多く来ていた。
しかし、ローテンボーデンで電車を下車してリッフェルゼーに行き、リッフェルベルグまでハイキングするのは、100%が日本
人だった。(外人客はそのまま電車で降りてゆく)

午後のツェルマットの町は、人。人。人。で混んでいたし、到着する「氷河急行」や「シャトル・トレイン」からは、多くの乗客が
ドドドと降りてきていた。
(まあ、夏のハイシーズン中だもの。仕方ないね・・・)

リッフェルゼーを歩いていたら、中年のご夫婦に
「おやじのつぶやき、読んでますよ」と、声を掛けられた。
「ありがとうございます」と、おやじは答えたが、嬉しかった。
もし、スイス各地でおやじの姿を見かけたら、どうぞお気軽に、声を掛けてくださいね。

「今日の写真」を、どうぞ。

さて、ニュースから・・・
『海外長期滞在者数、アジアが初めて1位に…国別では米国   8月14日19時38分配信 読売新聞
  外務省の「海外在留邦人数調査」(2006年10月1日現在)で、3か月以上の長期滞在者(永住者は除く)の滞在地域を
調べたところ、アジアが26万7064人で初めて1位になった。
  地域の区分が現在と同じになった85年からトップが続いていた北米は、26万3756人で2位だった。
  同省領事局は「長期滞在者はビジネスマンが多く、中国や東南アジアに活発に投資する企業が増えた影響ではないか」と
分析している。
  長期滞在者が最も多かった国は24万6988人の米国で、中国(12万4476人)、英国(4万8289人)が続いた。
都市別では、ニューヨーク(4万8439人)、上海(4万3960人)、ロサンゼルス(3万8711人)の順だった。
                                                     最終更新:8月14日19時38分』

だ、そうだ。
まあ、アジアは近いし、最近はロングスティする中高年層も多くなったので、こういう結果になったのだろう。。。。(?)
2007年08月13日(月) 晴れ 1445
今朝も、晴れ模様。
すがすがしい景色に気持ちが良い。

車でインターラーケン・ウェストに行き、お客様はここからトゥーン湖の遊覧船(定期船)に乗船する。
おやじは、車でシュピエッツに先回りする。
シュピエッツでお客様と合流し、カンデルシュテックへと向かい、カートレインでゴッペンシュタインへ。
そして、テッシュからシャトル・トレインでツェルマットにやって来る。
シーズン中のことゆえ、カートレインも混んでいるし、ツェルマットの街中も混んでいた。

ところで、夜の8時から「スイス・テレビ」(SF1)の番組「「bsuech in im Berner Oberland / Kleine Scheidegg」(ベルナー
オーバーランドを訪ねて・・・クライネ・シャイデック)が放映された。

放送開始の直前まで大雨が降っていたそうだが、放送開始と同時に雨もやみ、番組中は雨は降らなかった。
おやじは、ツェルマットのホテルの夕食をキャンセルしてまで、部屋のテレビにかじりついて見ていた。(親ばか@、笑)
グリンデルワルトの村長はもとより、知った顔があちこちに出ていて、家内や知人や友人達もテレビに映っていた。
しかも、10カ国の代表チームが集まっていたが、その中でも日本チームが結構写っていて、チームリーダーのわが娘である
浴衣姿の仁子(にこ)は、インタービューを受け、名前まで言っていた。。。(親ばかA。。。。笑)
テレビの画面をデジカメで写したのを、「今日の写真」でご覧下さい。(親ばかB)

なお、スイス・テレビ(SF1)では、この番組の7箇所の放送分をDVDにして、9月中旬に発売するそうだ。
02. Juli 2007: Gstaad, Gstaadplatz
09. Juli 2007: Brienz, Schifflandte
16. Juli 2007: Adelboden, bei der ref. Kirche
23. Juli 2007: Spiez, Schloss
30. Juli 2007: Thun, Rathausplatz
06. August 2007: Interlaken, Hohenmatte
13. August 2007: Kleine Scheidegg, Bahnhofplatz

もし、購入後希望の方が、居れば、「おやじのつぶやき」までご連絡下さい。
弊社で代買して日本へ発送いたします。
DVDの詳細は、下記のページでどうぞ。
http://www.sf.tv/sfshop/kategorie.php?catid=24

番組の詳細は、次のページで。。。。(ビデオでも見られます)
http://www.sf.tv/sf1/bsuechin/index.php

「今日の写真」を、どうぞ。
2007年08月12日(日) 晴れ 1444
今朝は、雲ひとつ無い真っ青な空と、白い残雪を頂くアイガーなどの山々が、美しかった。
ヴェッターホルンの朝の写真を撮った。

今日は、グリンデルワルトから電車でグルントに降り、そこからメンリッヒェンへのゴンドラで山頂に。
メンリッヒェンでは「アルプホルン大集合」が開催され、100名以上のアルプホルン奏者が集まっていた。
メンリッヒェンからクライネ・シャイデックまでをハイキングし、クライネ・シャイデックから登山電車でユングフラウヨッホへ。
久しぶりの晴天と日曜日と休暇中で、駅も電車も、どこもかしこも、混んでいた。
ユングフラウヨッホ駅では、帰りの電車に乗るためになが〜〜い列が出来ていた。

クライネ・シャイデック駅には、大群のヤギの群れが居て、観光客の写真の題材になっていたが、電車の前に立ちはだかり
電車を止めたり、観光客の犬達に吠えられて逃げ惑うヤギも居た。

クライネ・シャイデックでは、スイス・テレビの「生中継」が明日行なわれるので、その準備が行なわれていた。
ベルナーオーバーランド各地での生中継で、今までにトゥーン、シュピエッツ、そしてインターラーケンなどで行なわれ、明日は
クライネ・シャイデックで放映される。
タイトルは「bsuech in im Berner Oberland / Kleine Scheidegg」(ベルナーオーバーランドを訪ねて・・・クライネ・シャイデック)

ちなみに、番組内では、おやじの長女(仁子)が、友達と出演するらしいし、会場の観客の多くはグリンデルワルトや周辺の
住民達で、おやじの家族、スタッフ、あるいは、グリンデルワルトの人々なので、知った顔がたくさん登場するかも知れない。
なお、番組は「スイス・テレビ」(SF1)で、明日の午後07時55分からスタートする。
残念ながら、日本には中継されないので、スイスに居る方は、ぜひとも、ご覧下さい。
詳しくは、「こちら」から。
または、http://www.sf.tv/

「今日の写真」を、どうぞ。

スイスのニュースから・・・
『スイス高速道路は定期点検 (Sat. 04.08.07 Smi)
 ベルンの連邦道路局は、今週ミネアポリスで起きたような橋の崩落はスイスで起きる心配ないと発表した。
スイスのおよそ3,000の自動車道の橋は1ヶ月に1度検査されている。
当局の報道官によると5年毎に精密検査を行っており、その際重さ57トンのレオパルド戦車で試験走行している。
連邦政府は橋の整備・建て直しに年間2億3千万スイスフランを費やしており、47年間に亘るスイスの国道網史上未だ橋の
崩落は起きた事がない。連邦工科大学ツューリッヒ校はこれらの橋の監視に参加している。
(出典:2007年8月4日付ターゲス・アンツァイガー紙)』

だ、そうだ。
いや〜、それにしてもアメリカの橋の崩落シーンは、まさに映画そのものだった。
多くの犠牲者が出たし、水に流されて今だに見つかっていない人も居るというし、、、、
可哀相だ。。。。

一方、スイスの橋は1ヶ月に1回の検査を受けており、しかも、その検査には、「重さ57トンのレオパルド戦車で試験走行して
いる」というのも、驚きだ!(ただ、おやじは、一度も戦車で試験走行をしている風景を見たことは無いのだが・・・・)
2007年08月11日(土) 晴れ 1443
今朝のサン・モリッツ地方は、晴れの天気だった。
お客様は、午前10時01分の「氷河急行」に乗車され、おやじは、車で走る。
いつも通る「ユリア・パス」(峠)は、ガスで真っ白!

今日は土曜日、しかも休暇中とあって、道路も、景色の良い場所も、どこも混んでいた。
氷河急行も、日本人団体客の姿は少なかったけれど、外人の中高年の団体さんのツアーが多かった。

アンデルマットでお客様と合流し、車で2つの峠を越えてゆく予定だったが、自転車レースが開催されているため「フルカ峠」
は越えられないことに。
仕方なく、レアルプからオーバーワルト間は、カートレインを利用することに。
そして、オーバーワルトから、「グレッチ」に向かい、「グリムゼル峠」を越えてゆくことにした。
天気は徐々に回復しており、多少の雲は残っていたものの、まあまあの天気だった。

「今日の写真」を、どうぞ。

さて、日本のニュースから・・・
『和牛表示コロッケ、実はホルスタイン…いかりスーパー  8月10日22時54分配信 読売新聞
  高級食材の販売などで知られる「いかりスーパーマーケット」(本社・兵庫県尼崎市)が2005年から約2年半にわたり、
ホルスタイン牛のミンチを使いながら和牛肉を使用したとビーフコロッケに表示し、10万7334個を製造・販売していたことが
わかった。
  農林水産省は10日、日本農林規格(JAS)法に基づき、業務改善を指示した。来月11日までに改善報告書の提出を
求めており、同スーパーは既に店頭からこの商品を撤去した。
  農水省によると、問題のコロッケは「ikariビーフコロッケ」(6個入り、410円)。同スーパーは商品パッケージに「和牛肉の
旨味(うまみ)をいかした」などと表示し、北海道産じゃがいもに加えて米国産マッシュポテトも使用していたのに「北海道産
男爵芋」と表記していた。   最終更新:8月10日22時54分』

だ、そうだ。
ここ最近、こんなニュースが続くし、一旦出たら、今度は続々と「膿」のごとく出てくる。
一体、日本人は どうなっちまったんだか・・・・・?
企業理念とか、精神とか、きっと会社の社長室とか、会議室などには、大きく書き出してあるだろうに・・・・。
いつから日本人は、「嘘を平気につくようになったのだろう?」
特に、会社、企業、工場とか。
働いている従業員はもちろん、その上司たち、幹部たち。
みんな平気で、混ぜたり、ごまかしたり、書き換えたり、、、、、
これじゃ、近くの某大国とおんなじじゃないか・・・。
情けない!
2007年08月10日(金) 曇り/晴れ 1442
今朝のサン・モリッツ地方は、曇り空だった。
朝8時の外気温が、プラスの5度。(ちょっと肌寒い)
しかし、徐々に回復しそうな、そんな雰囲気だった。

まず、車で「ベルニナ・ディアボレッツァ」へ向かい、そこから大型のロープウェイで「ディアボレッツァ」展望台へ。
天気が悪いためか、ロープウェイには、我々5名を含んで、たったの12名のみ(3名は登山ガイド)。
展望台に着くと、雲の中からベルニナ・アルプスの山々や「モルテラッチ氷河」などが見えていて、お客様も感動していた。
また、たくさんのハイキング客が居たが、これが「氷河トレッキング」をするハイカー達であり、一緒に登ってきた登山ガイドが
案内する客でもあった。
我々のあとのロープウェイからは、殆ど満員のロープウェイが上がってきたのでびっくり!(定員は125名)

我々は下に降りて、今度は「オスピッチオ・ベルニナ」に車で向かう。
普段は、お客様が「ベルニナ急行」で通過し、おやじは車で併走する駅なのだが、こうして立ち寄ると、新鮮な感じがする。(笑)
お客様は、ここから「アルプ・グリュム」までハイキングし、そこから「サン・モリッツ」まで「ベルニナ急行」で戻って来ることに
なっているので、それまでの間休憩である。
夕方に戻ってきたお客様をサン・モリッツ駅でお出迎えし、ホテルまでお連れする。

「今日の写真」を、どうぞ。

さて、日本のニュースから・・・
『お盆のラッシュ始まる…中央道下りで30キロの渋滞   8月10日14時17分配信 読売新聞
  猛暑の中、古里や行楽地へ向かう人のラッシュが10日、始まった。
  中央自動車道下りは正午前に小仏トンネルを先頭に約30キロ、東名高速下りでも、午後1時前に神奈川県内の大和トン
ネルを先頭に18キロ渋滞した。
  新幹線などの混雑のピークは11日と予想されている。   最終更新:8月10日14時17分』

そうか〜。日本は「お盆」なんですね〜。
でう、全く、そんな感覚が、おやじには無いので困りますね〜。
スイス(サン・モリッツ)じゃ、寒いし。。。。
天気も悪いので、とても「日本のお盆」のイメージは湧きません。。。。
あつ〜〜い日本を抜け出して、さむ〜いスイスに来ませんか〜〜!?(苦笑)
2007年08月09日(木) *** 1441
今日のチューリッヒ地方も雨模様。
昨夜届かなかったお客様の荷物を受け取りに、まずはチューリッヒ空港へ。
すると、ちゃんと届いていたので一安心。
その後、車でマイエンフェルトに向かう。
今日のスイス地方も、ほぼ全国的に雨模様であるが、南に近づくに従って雨の量も少なくなっていた。
マイエンフェルトには、2組の日本人の団体さんが来ていた。

ハイジの泉、ハイジ博物館を見学し、ホテル・ハイディホフで昼食を取る。
その後、サン・モリッツに向かう。
年間晴れ率の高いサン・モリッツも、さすがに今日は雨模様。
そして山々も真っ白なガスの中に隠れていた。

ところで、昨日の「つぶやき」でインターラーケン〜ラウターブルンネン、グリンデルワルト方面の交通が不通になっていると
書いたところ、今日、事務所には、ヤンヤ・ヤンヤの問い合わせがあったとのこと。
そこで、事務所から、現在の状況を知らせて欲しいとのことですので、以下に記載します。。。。。

『今日は、グリンデルワルト〜インターラーケン間の鉄道も道路も、朝から無事に開通しました。
 お客様も通常通り、グリンデルワルトから各地へ問題なく移動出来ていますし、グリンデルワルトにお越しのお客様も、
 ほぼ問題なく到着しておられます。
 道路も上記区間に関しましては、冠水等しておらず、ほぼ通常の所要時間にてグリンデルワルトに来る事が出来ます。

 登山列車やロープウェー、ゴンドラ等もほぼ通常通り運行しています。
 本日、休止していたのは、グローセ・シャイデックやブスアルプ、イトラメン方面のバスとミューレン〜シルトホルン間の
 ロープウェーのみですが、明日以降には復旧する予定です。
 但し、インターラーケンのハルダークルムに関しましては、昨夜に石が落ちてきたとかで、現在でも不通の状態になって
 おり、復旧のメドが立てられない状況との事です。
 http://www.jungfraubahn.ch/de/DesktopDefault.aspx/tabid-1/6_read-6662/

 雨もやみましたので、あとはアイガーが雲の中から出てくるのを待つのみです。
 グリンデルワルトは、全く問題ありません。皆様のお越しをお待ちしております』
2007年08月08日(水) *** 1440
今日も雨模様。
うっとうしい天気である。

午前中、インターラーケンのガレージに行く。
実は、おやじの車を12年ぶりに新車に交換した。
今まで乗っていたブルーのVW(フォルクスワーゲン)BUS(バス)は9人乗りだが、12年前に新車で購入したもので、
しっかりと12年間働き続けてくれた。特に、タクシー・ナンバー(タクシー免許)を取得してからは、スイス国内は元より、
フランスのシャモニーまでも走ってくれた。1日に500km以上も走る日もあった。峠道を登ったり下りたりしたこともあった。
グリンデルワルトからチューリッヒ空港までは、まるで通勤車のように毎日のように走ったこともあった。
そんな、活躍してくれたVW−BUSも、そろそろ寿命である。
12年間で174,809kmも走ってくれた。

今日、新しく乗る車がインターラーケンのガレージに届いて、検査も終わったので引き取りに行った。
今度の新しい車は、メルセデス・ベンツのVIANO(8人乗り)のロングボディである。
そして、今度の車も4輪駆動であるが、オートマチックである。

一旦自宅に戻り、そして、チューリッヒに向かう。
新しい車での初仕事は、チューリッヒ空港からの4名のお客様を乗せて、チューリッヒ〜サン・モリッツ〜グリンデルワルトへ
向かう内容である。(やはり、新車は気持ちがいい。。。。笑)

ところで、今日は朝から雨模様だったが、その後、雨足が激しくなり、チューリッヒに向かう途中でも激しい雨が降っていた。
ところが、ベルン〜ルッツェルンを始めスイス中央部では、大量の雨に、川や湖水が氾濫するほどで、ニュースでもあちら
こちらで被害が出ている様子が映し出されていた。
さらに、トゥーン、インターラーケン付近でも洪水があり、現在インターラーケン〜グリンデルワルトと、ラウターブルンネン間は
電車も道路も不通となっているそうだ。

さて、肝心のお客様のほうは、日本からロンドン経由のBA(ブリティッシュ・エアー)便でチューリッヒに到着されたが、案の定
(?)4個の荷物のうち、出て来たのは1個だけで、あとの3個はロンドン(ヒースロー空港)に残ったまま。
結局、明日の午前中の便で届くという。

だから、おやじは、乗り継ぎ便は、好きじゃない。
先日のイメージビデオ班も、パリ乗り継ぎ(エアーフランスだったが・・・)で、荷物が出てこない。
仕事で使う荷物なので、出てこないと仕事にならない。
で、翌朝の便で到着するからと、チューリッヒ空港に行ったものの、届かない。
で、結局、荷物がパリから届いたのが、翌日の夕方だった。。。。
とにかく、直行便でないと、本当に荷物が届かないんだから。。。。(困ったもんだ・・・)

話しは逸れるが、おやじが空港に到着したころ、丁度名古屋からのチャーター便が到着して、乗客達が荷物のターンテーブル
で待って、荷物をポーターが集めて、バスに乗るためにゾロゾロと出て来たころだった。
チャーター便は、スイスの「エーデルワイス航空」である。
いや〜、乗客の100%は日本人なんだから、まるでハワイのホノルル空港の感じだった。
(懐かしかったなぁ〜〜〜〜)笑
12年間働き続けてくれた、VW−BUS 新車は、メルセデス・ベンツのVIANO
2007年08月07日(火) 雨/曇り *** 1439
昨夜からの雨模様。
そして、今日も雨。
おやじは、午前06時から車の運転を。
まずは、チューリッヒに向かい、市内のホテルでお客様をピックアップして(午前09時00分)、一路、マイエンフェルトへ。
途中、リヒテンシュタイン公国によって、入国のスタンプを貰う。
その後、マイエンフェルトの「ハイジの泉」「ハイジ博物館」(?)を見学し、ホテル・ハイジホフで昼食。
その後、クール〜アンデルマット〜フルカ峠〜グリムゼル峠を通って、グリンデルワルトへと戻ってきた。
天気は、めまぐるしく変わり、雨、曇り、ガス、晴れ、、、、と続いていた。
グリンデルワルトに戻ってきたのが、午後05時00分。
つまり、11時間労働(運転は、約9時間ほど)していたことになる。
ちなみに、総走行距離は530kmだった。

日本のニュースから・・・
『YS11、初代新幹線車両…「機械遺産」25件を認定   8月7日21時58分配信 読売新聞
  日本に残る歴史的な機械技術を保存し、文化的遺産として次世代に継承していこうと、日本機械学会(斎藤忍会長)は
7日、戦後初の国産旅客機「YS11」など25件を「機械遺産」として認定した。
  認定されたのは、YS11のほか、初代の新幹線車両「0系」や民間初の量産蒸気機関車「230形233号タンク式蒸気
機関車」、二輪車市場を広げるきっかけを作ったホンダ自転車用補助エンジン「カブ号F型」など。
  独創的な機構と美しい装飾を併せ持つ傑作の和時計「万年自鳴鐘」や、1877年製造の国産活版印刷機、東京帝国
大学の水力学の講義ノートも選ばれた。
  <1>保存・収集されてきた機械<2>機械のある歴史的な風景<3>機械を含む象徴的な建造物や構造物
<4>記録に残る機械関連文書類――が対象で、機械技術の発展に特に寄与した重要な成果や、国民生活や文化、
経済に貢献したものを選んだ。    最終更新:8月7日21時58分』

だ、そうだ。
いいね〜。
何でもかんでも新しいものが良い訳でもない、古いものも大切にしないといけない。
古い物だって、当時は画期的な新製品だったのだ。
そして、それらの古いものがあるからこそ、今の新しいものもできたのだ。
古い物も大切にすることが大事だ。
2007年08月06日(月) 晴れ 1438
今日も、朝から雲1つない、真っ青な晴天。

今日は、久しぶりにガイドの仕事を行なう。
グリンデルワルトのホテルから大型バスにお客様と一緒に乗り、シュテッヘルベルグへ。
ここからロープウェイでミューレンへ。
さらに、街中を散策しながらケーブルカーでアルメントフーベルへ。
ここのレストランでバーベキューの昼食を取り、その後、ミューレンまでのハイキングを行なう。
そして、ロープウェイでシュテッヘルベルグへと戻り、ガイドの仕事は終了である。

ちなみに、ロープウェイのミューレン駅にある陳列台に、日本人クライマーから寄贈された記念品が展示されているのを
ご存知だろうか?
これは、1969年に8名の日本人クライマー達が「アイガー北壁」の直登ルートを初登頂したときに使われた品々である。
(8名の中に1名の女性が居た。女性として初の登頂者になるのだが、今井道子さんである)

なぜ、これらの記念品がここに展示されているのかというと、初登頂の記念パーティーをシルトホルン・バーンの社長さんが
開いてくれたそうで、その御礼として登頂に使った品々を寄贈したそうだ。

「今日の写真」を、どうぞ。


日本のニュースから・・・
『領収書5枚を削除=支部報告書、また訂正−赤城前農相   8月6日23時0分配信 時事通信
  赤城徳彦前農水相(衆院茨城1区)が代表を務める「自民党茨城県第1選挙区支部」が、政治資金収支報告書に誤りが
あったとして、添付された領収書5枚を削除する訂正手続きを取っていたことが6日、分かった。
  報告書が提出された茨城県選挙管理委員会によると、訂正されたのは衆院選のあった2005年分の収支報告書。
  5枚の領収書は印刷代などとして計上されていたが、6日に訂正の手続きが取られた。 
最終更新:8月6日23時0分』

だ、そうだ。
こんなセコイ男が、日本の大臣かと思うと、ホント、情けない、、、ね〜〜〜〜。
しかも、選んだほうも選んだほう。
何を基準にして大臣を選ぶのかね〜〜?
立派な人材は、もう居ないのかね〜〜、今のニッポン。
2007年08月05日(日) 晴れ 1437
今日も、朝から雲1つない、真っ青な晴天。

朝から、1名のお客様を車でチューリッヒ空港までご案内する。
さすが、日曜日だけあって、チューリッヒ空港の「スイス・インターナショナル」のチェックイン・カウンターは混んでいた。
最近は、チェックインはカウンターに並ばずに、機械で自分でさせようと企んでいて(笑)、係員の女性がカウンターの列の
入り口に陣取って、乗客一人ひとりに、
「どんなチケットですか? どこへ飛ぶのですか? Eチケットですか?」などと質問して、乗客の持っているチケットが
Eチケットの場合は、機械へ行くように言う。
10台近くある自動チェックイン・マシーンの前には、別の1人の係員が自動チェックインの手伝いをしている。
乗客も旅なれている人は少ないし、ましてや自動チェックインなんて、今までやったことのない人ばかり・・・・・。
で、当然み〜んな機械の前で立ちすくんでいる。(苦笑)
(まあ、慣れればなんてことはないのだが・・・・)

やっとのことで、自動チェックインが出来て、搭乗券が機械から出てきて、荷物用のタッグが印刷されて出てきたので、
それをスーツケースなどに自分で貼ったら、今度は、その荷物を預けるカウンターで並ばなければならない。
(同じように自分で機械で手続きした乗客が、たくさん居るから・・・・)

で、結局、自動チェックインで冷や汗かいて、さらに並んで。で、荷物がなくなってようやく、出国手続きに進むのだが。。。

最初から今までどおりにカウンターに並ぶのも、自動チェックインで手続きするのも、最終的な時間的には余り変化が
ないように思う、おやじであった。(苦笑)

「アイガーの朝焼け と 夕焼けの写真」 を、どうぞ。
2007年08月04日(土) 晴れ 1436
今日は、朝から雲1つない、真っ青な晴天。
クラブツアーの方々の出発日でもある。
一週間なんて、あっ!という間の短い時間である。
貸し別荘に滞在の方は、それぞれの別荘のオーナーに集合場所の駅前駐車場まで車で連れて来てもらっていた。
そして、今日帰国する8名の方々と記念写真を撮る。
黄色のグリンデルワルト・バスでチューリッヒ空港へと向かって行った。
「また、来年お会いしましょう!」

「クラブツアー速報D」を、どうぞ。

夕方には、我が家の子供達の「ゴットファザー」「ゴットマザー」を呼んでのバーベキューを行なう。
1日中雲1つない晴天に、アイガーも、メッテンベルグも、そしてヴェッターホルンも、ず〜〜〜〜と、綺麗に見えていた。
素晴らしい、景色である。
「ゴットファザー」「ゴットマザー」を呼んでのバーベキュー
2007年08月03日(金) 曇り/晴れ 1435
今日は、曇り空。そして、徐々に天気は回復に向かった。
午前08時の外気温は+11度だった。
(ちょっと肌寒い朝である)

夕方からは、クラブツアー参加者の方々にお集まり頂き、「さよならのアペロ」をおやじの自宅で開催する。
早くもクラブツアーは、明日、日本へ帰国の途につく。
天気は、真っ青な日もあり、雨の日もあったが、各参加者の方々は、それぞれにグリンデルワルトでの滞在を満喫された
様子。
「次回は、もっと長く滞在したい〜!」という声も聞こえる。

また、丁度取材でグリンデルワルトに滞在中のカメラマンの小川清美さんもおよびして、みなでワイワイと最後のグリン
デルワルトの景色を楽しんだ。
おやじの自宅からは、左はヴェッターホルンから始まって、メッテンベルグ、アイガー、チュッケン、そしてメンリッヒェンまで
180度のアルプスの景色を堪能することが出来る。
天気もゆっくりとだが、徐々に回復しており、雲に隠れていたアイガーも、その姿を徐々に見せていた。
そして、夕焼けのアイガーを題材に、急遽「小川清美 写真教室」を開催し、みんなで同じアイガーを撮っていた。
が、果たして。。。。
どんな写真が撮れたのだろうか・・・・?(笑)

「クラブツアー速報C」を、どうぞ。

さて、日本のニュースから・・・
『謹慎の朝青龍、ショック抜けず…主治医が説明   8月4日1時2分配信 読売新聞
  2場所出場停止など厳罰処分を受けて謹慎している大相撲の横綱朝青龍の自宅(東京・墨田区)を訪問した主治医が
3日夜、報道陣に朝青龍の精神面の状態などを説明した。
  主治医によると、横綱はショックが抜けていないため感情の起伏が激しく、前回訪問時は比較的落ち着いた状態だった
のに対し、この日は「朝からほとんど何も食べず、睡眠も満足に取っていない」と説明。
一緒にいる付け人ともほとんど会話せず、無表情でいる時間も長いという。
   相撲協会の処分では、自宅と部屋、病院以外への外出は認められず、モンゴルへの帰国も許可されないことになって
いるが、主治医は「心のケアという面でもモンゴルに一度帰して、両親と一緒にしばらく生活させるべき」と話し、近く師匠の
高砂親方(元大関朝潮)に一時帰国を認めるよう要請する考えを示した。   最終更新:8月4日1時2分』

だ、そうだ。が・・・・・
「強い横綱=朝青龍」が、今まで色々な汚い手を使っても、品がない態度をしても、大柄な態度をしても、それらを許して
きた、師匠の高砂親方(元大関朝潮)と、相撲協会が、わるい。
日本伝統的な相撲を守るんだったら、もっと初期の段階で朝青龍に教えなきゃいけないし、日本の伝統と、品と、マナーを
教えておかねばならないはずだ。
しかし、強いがゆえに、それらの態度を今までず〜〜と甘く見てきた高砂親方、相撲協会が、わ・る・い。

強いならなんでもOKならば、仮病を使って相撲を休んで、海外でサッカーをしようが、八百長試合をしようが、放っておけば
良い。が、伝統的な日本の国技を守るんだったら、強くなってもマナーがない奴はだめだ!って、もっと早い時期から言って
おくべきだった。
それをしないで今まで放ったらかしにしてきた、高砂親方、相撲協会が、わ・る・い。

そして、あれだけふてぶてしい態度を取って来た朝青龍が、いきなり「ショック」だの「精神面で心のケアが必要だの」とは。
朝青龍が、高砂親方、相撲協会よりも、1枚も2枚も上手(うわて)を取っていると、おやじは、思っている。
ジャンジャン。
2007年08月02日(木) 雨/曇り/晴れ *** 1434
今日は、昨日とうって変わっての「雨模様」(あ〜あ・・・・)。
午前08時の外気温は+13度だった。

お昼ごろには、ドしゃぶりの雨模様。
さらに、雷が鳴り、真っ黒な雲が覆っていたが。。。。
夕方からは、天気も回復し、青空も見え始めていた。

さて、今日は、わが長男、一康の「初出勤日」である。
本当は、08月01日が契約としての「初出勤日」なのだが、昨日は建国記念日で会社はお休みなので、今日がその初日と
なった。
でも、まあ、今までの学校に通うのと同じようなスタイルで、雨の中を傘も差さずに歩いて行った。
(ちなみに、長男の勤務する建築会社は、家から徒歩10分ほどの距離にある)

日本なら、さしずめ「リクルート・スーツ」でも着込んで、満員電車に揺られて1時間も2時間も掛けて行くのだろうが、お陰
さまで、長男の場合は、普段着に徒歩である。(苦笑)

お昼に昼食に戻ってきた長男に「仕事は、どうだった?」と聞くと、
「楽しかった」と言う。
「やって行けそうか?」と聞くと、
「やってゆける」と言う。
これから4年間。頑張って欲しい。。。。
お昼を食べたら、また歩いて会社に行った。
なお、週に1〜2度行く学校はトゥーンにあるので、通学の場合は、朝05時50分の電車(朝一番)に乗らねばならない。
(これは、大変だろうが。まあ、今までも朝2番の電車に乗って通学していたので、本人はそんなに気にならないようだ)

ちなみに、
「会社の社長から ”両親によろしく ” と言われたよ」、とのこと。
この社長とは、一緒に日本にも行ったので、多少は気心を知っているのだ。
(ちなみに、上高地でのクラブ総会にも参加したのであるが・・・・)

さて、日本のニュースから・・・
『日本人、長寿世界一を更新 まだ7〜8歳延びる可能性   7月26日19時4分配信 産経新聞
  ■男79.00歳、女85.81歳
 日本人の平均寿命は、男性79.00歳、女性85.81歳で過去最高を更新したことが、厚生労働省が26日発表した平成
18年「簡易生命表」で分かった。男性の20.6%、女性の43.9%が、90歳まで生きる計算になるという。
 17年はインフルエンザの流行で男女とも平均寿命がわずかに縮まったが、18年は男性が0.44歳、女性が0.29歳
延びた。男女差は6.81歳で、前年より0.15歳縮まった。
  厚労省が集めた世界各国・地域のデータと比べると、女性は昭和60年から22年連続の長寿世界一を維持。
2位の香港(84.6歳)、ともに3位のスイス、スペイン(83.9歳)を大きく引き離している。
男性は17年は4位だったが、18年はアイスランド(79.4歳)に次いで2位で、香港(78.8歳)、スイス(78.7歳)を抜き
返した。
   寿命を延ばす要因として、がん、心疾患、脳血管疾患の3大死因の改善が寄与していた。
男女ともに3大疾患が死因の半数以上を占めており、仮にこれらでの死亡がなくなれば、男性で8.31歳、女性で7.20
歳、いまよりも寿命が延びる計算という。
  厚労省は「平均寿命が延びる傾向は続いている。3大疾患の克服が大きく寄与することになる」としている。』

だ、そうだ。
長寿国は、日本、香港、そして、スイスだそうだが、いや〜〜もし、79歳まで生きれるとすれば、あと、、、、、
まだ、27年! (いや、あと27年しか!)ないのだ。。。。。
そう思うと、おやじの余命も少ないのぅ〜〜〜〜〜(ショボン・・・・)苦笑
2007年08月01日(水) 晴れ 1433
今日の天気は、朝から真っ青な晴天!!
雲1つない、真っ青な晴天!!
スイス建国記念日にしては、まさかの晴天!!
(も〜〜分かったって・・・しつこい。。。笑)

朝から色んな写真を撮り、色んな場所に行く。
夕方からは、「グリンデルワルト・クラブツアー」の参加者たちと「スイス建国記念日」の夕食会を行なう。
場所は、ホテル・セントラル・ヴォルターである。
夕食はビュッフェ(日本で言うバイキング形式)であり、各種の前菜からメインディッシュ、そしてデザートまでお好きな物を
食べられる。

午後09時30分からホテル・サンスターを出発したパレードが駅前駐車場へとやって来て、ここにあるステージ上で、ブラス
バンドによる演奏。ヨーデル、旗振り、アルプホルン、フォークダンスなどの披露が行なわれた。
司会は、観光局長のサルム氏である。
挨拶の言葉は、昨年よりもさらに増え、ドイツ語、フランス語、英語、イタリア語、スペイン語、日本語、スリナム語、ポルト
ガル語、そして、中国語まで言っていた。
午後11時ごろから花火が打ち上げられたが、いつもの場所ではなく、余り良く見えず。
さらに、音楽もなく、いつ終わるのかも分からず、そしていつの間にか終わっていて、今年の花火はサイテーだった。

「クラブツアー速報B」を、どうぞ。

「今月の写真」(08月01日)も、どうぞ。