おやじの つぶやき

グリンデルワルトに住む、安東一郎=おやじ が、特にテーマもなく、毎日の変化、
行動、思い=気持ち、その他を とりとめなく、つぶやくコーナーです。
多少、個人的、傾斜的、一方的、一面的、勝手気ままに書いていますが、お許しを。
この「おやじの つぶやき」についてのご意見がありましたら、「ここ」へ.。
ご批判、激励、賛同、反対、その他、なんでもOKです。
(但し、匿名のメールは無視しますので、お名前をちゃんと書いて来てくださいね)

また、「写真クイズ」などの回答は
「ここ」へ回答をお送りください。
なお、「写真」をクリックして頂くと、写真が御覧頂けます。
「おやじのつぶやき」(2004年08月分) 「おやじのつぶやき」 表紙 「おやじのつぶやき」(2004年10月分)

2004年09月30日(木) 天気は 曇り *** 0453
今日の天気は、鈍よりした天気。
晴れているのか、曇っているのか、よく分からない・・・・というような、天気だった。

さて、久しぶりに日本のニュースから・・・・
『社会ニュース - 9月20日(月)15時13分     あなたのプロポーズ教えて 「結婚に夢持って」と募集
 「そろそろ家にあいさつに来てよ」「いつも一緒にいよう」−−。
結婚に夢を持ってもらい、少子化対策につなげようと、奈良県が「プロポーズの言葉100選」を募集したところ、
全国から問い合わせが殺到している。
  20日までの約1カ月半で全国から約400件の応募があり「どれも幸せそうな熱い言葉。思わず顔が赤くなり
ます」と担当者。10月末に締め切り、優秀作の表彰や作品集発行を予定している。
  応募者の7割以上が女性で、中には「あなたと人生最大のギャンブルがしたい」(20代女性)という熱烈な
言葉も。最年少は保母さんにおもちゃの指輪で結婚を申し込んだ5歳男児、最高齢は81歳男性という。
  同県は2003年の合計特殊出生率(女性一人が生涯に産む子供の平均数)が1・18で、東京都、京都府に
次いで低い。県は「少子化の背景に晩婚、非婚などの風潮がある」と分析、結婚へのあこがれを育てようと企画
した。     (共同通信) - 9月20日15時13分更新』

皆さんは、どんなプロポーズしましたか?(されましたか?)
おやじは? うん?
なんだっけ? アハハハ  忘れた・・・・・
「一緒にスイスに行こう!」だっけ?
いや、ちがうな〜。
「俺について来い!」
いやいや、そんなに強くなかったな〜。
第一、お金も、仕事も、な〜んにも無かったし・・・・笑
まあ、いいや・・・・・

で、ヨーロッパ人の男性は、言葉がうまい。
本当に、うまい。(心からの言葉かどうか、、、、は別として・・・)
こちらの女性は、小さい頃から耳慣れ(聞きなれて)いるから、何を言われても、それがお世辞かどうか、ちゃんと
見抜く技を持っていると思うけど、小さい頃に「可愛いね〜」としか言われたことのない日本のお嬢様方は、初めて
(?)耳にする、これらのあま〜い、お言葉にコロリ・・・といってしまうのね。

勿論、外人さんだって「好み」もあれば「好き嫌い」もあるだろうから、片っ端から・・・とはないにしても、やはり
女心。
「可愛い、可愛い」と毎日、毎回言われれば、その気になるよね〜〜〜。(笑)
本当に、そう思って言う男性も居るわけだから、全てが嘘だとは言いませんよ。。。。

だんまりの日本男性。な〜んとかしろ!
(でも最近、日本には ”女らしい男の子” が多いと聞くので、無理かな〜〜〜〜〜。日本じゃ・・・・)
2004年09月29日(水) 天気は 曇り *** 0452
今日は、寒くもなく、暑くもなく・・・・というような、気候だった。
今、「某ガイドブック」(某出版社)の取材の女の子が来ている。
来年用の「某ガイドブック」を作るために、グリンデルワルトに1週間ほど宿泊しているのだが、残念ながら天気が
いまいち。
な〜んで秋に来るんだろう。
スイスの最も綺麗な季節は、春〜初夏なのに。。。。。
ガイドブック作っている人間が、現地を知らないんだから、困ってしまう。
もちろん、弊社は取材をお手伝いする事で某出版社から連絡を貰っているので、綺麗な景色と美しい山の
写真を撮って欲しいのだが。
しかし、天気だけは、弊社にも私にも、どうすることもできない。

昨日、今日とまずまずの天気だったので、これでなんとか出来ただろう。
しかし、次回は絶対に春に来てくださいよ!
なお、「某ガイドブック」には、私も投稿記事を書く予定でいます。
どんな文章になることやら・・・・・(苦笑)
お楽しみに・・・・・・
2004年09月28日(火) 天気は 晴れ 写真 0451
グリンデルワルトの朝は、少々肌寒かった。
もう、秋の感じだ。
秋の行楽シーズンなのか、またまた中高年の日本人姿が多くなった。

去る09月17日にフィングシュテックのレストランで「50歳の誕生日記念夕食会」を催してもらった。
そのときに、ベルン州立銀行グリンデルワルト支店の支店長から頂いた大きな「トブレローネ」のチョコレートを
どうしましたか〜?という、問い合わせをもらっていた。
チョコレートを食べる時間も暇もなく、そのまま置いておいたのだが、今夜、長男の一康(いっこう)が、
「食べてもいいか?」と聞くので、仕方なく(?)、
「いいよ」と、OKした。
(一康は、おやじに似ずに、チョコレート大好き人間である)

しかし、さすがに大きな「トブレローネ・チョコレート」である、単純に開封して、食べてしまったのでは、勿体無いと
記念写真を撮った。(笑)
長さ75cm。高さ10cm。このチョコレートを食べるには、相当の勇気と時間が必要だろうが・・・・・。
しかし、我が家の長男君は、きっと短時間で食べてしまうだろう。。。。。。
(今、アイスホッケーのキャンプで、グリンデルワルトで朝から夜まで動き回っているのでお腹は空くだろう)

なお、誕生日記念夕食会のテーブルの上に敷いていたランチョンマットには、おやじの様々な写真が載っている。
(これは、新聞社兼印刷屋の社長さんからのプレゼントである)
写真参照
2004年09月27日(月) 天気は 曇り/ガス/晴れ 写真 0450
「スタッフ研修」の2日目の26日は、
サン・モリッツからイタリア領のティラノへ行く。
スイス側は気温も低く、雪も残っているが、さすがイタリアは、暖かく、天気も良い。

サン・モリッツに再び戻り、ユリア・パス(峠)、オーバーアルプ・パス(峠)を越えて、カートレインで、レアルプ〜
オーバーアルプ間に乗り、やがてフィエッシュで宿泊。(さむ〜い・・・)
ユリア・パスでは雪。オーバーアルプ・パスではガスと、悪い天気だった。

3日目の27日は、テッシュまで車で走り、登山電車でツェルマットへ。
貸し別荘を4軒ほど見て回る。
ツェルマットも観光客の姿が少なくなっていたような気がする。
やはり、もうすぐシーズン・オフですからね〜。。。。。

夜の7時には、グリンデルワルトへと戻ってくる。。。。ホットする。。。
やはり、グリンデルワルトの景色に勝るところは、無いですね〜〜〜〜。
2004年09月25日(土) 天気は 雨/曇り 写真 0449
今日から3日間は、「スタッフ研修」のため、事務所は休業である。
朝の08時30分にグリンデルワルトを出発。一路、マイエンフェルトに向う。
天気は生憎の雨模様。
ハイジの泉や博物館など見学し、「ホテル・ハイディホフ」にて昼食。(勿論、日本人団体も来ていたが・・・・)
博物館横にある郵便局兼お土産屋さんには、さまざまな「ハイジ・グッズ」が売っていたが、その中に
「アルムの石ころ」(正式名称は忘れた)と、「おじいさんが削ったカンナ屑」の入ったビンには、目が点に・・・・。
ナ・ナ・ナント、1個が9.80フラン(約900円ほど)ですよ!!

その後、サン・モリッツに向う。
サン・モリッツのホテルやポントレジーナの別荘などを見学。
夕食は、宿泊している「ホテル・シュヴァイツァーホフ」にて取る。

すでにシーズンオフだと思っていたサン・モリッツだが、アメリカ人やドイツ人の団体さんで混んでいた。
2004年09月24日(金) 天気は 雨/曇り *** 0448
今日は、最終日である。
朝、チューリッヒのホテルから空港まで同行し、そして空港でツアーの方々を見送った。
姉妹都市の方々であったが、参加者の皆さんが良い方ばかりだったので、楽しく仕事が出来たし、あっ!という
間だった。
1週間の仕事が終わり、電車でグリンデルワルトへ帰った。
天気は、どこも悪くて、晴れたり、曇ったり、激しい雨が降ったり・・・と変な天気だった。

夕方に、グリンデルワルトの印刷屋さん兼新聞社の先代の社長が、個人的に長年集めた山の絵画550点の
絵画を公民館で公開し、それの展示会に招待されていたので見に行った。
村長始め、村の有力者や絵画愛好者が招待されており、殆どが顔見知りの地元の村民ばかりだった。
この先代の社長さんは、なかなかのやり手の方だったが、優しく面白い人で、グリンデルワルトからの訪問団と
して一緒に日本へ行ったこともある方。
(特に、乗鞍高原で宿泊したペンションでお尻を出して踊ったのには、み〜んな、ビックリしたが・・・・笑)
最近は、目が悪くなっており、外出も少なくなっている。
グリンデルワルトのお世話になった方や、良い方々がドンドンと年を取ってゆくのが辛いな〜〜〜。
2004年09月23日(木) 天気は 晴れ/曇り 写真 0447
今日は、移動日である。
ツェルマットから登山電車に乗りテッシュへ。そこから専用車に乗って、ベルンへ。
スイスの首都ベルンで簡単な観光旅行と昼食を取った。
昼食、観光の後、チューリッヒへ。チューリッヒも簡単な市内観光を行なった。

夕食は「ツォイグハウス・ケラー」で取る。
武器庫を改築した大きな倉庫のようなレストランである。

実は、今日、09月23日は、おやじ(私)の誕生日である。
丁度50歳になる。
ツアーの参加者から「ハーッピーバースデー」の歌とケーキを頂いた。ありがとう・・・・!

今日、メールなどで誕生日記念の言葉や、メッセージを頂いた方々へ。
どうも、ありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
2004年09月22日(水) 天気は 晴れ/曇り 写真 0446
今日は、登山電車でゴルナーグラートに登る。
天気は良く、マッターホルンがしっかりと見れて、お客様たちは大変喜んでいた。
ただ、風が強く、雲も太陽側に出ていたので、肌寒かった。
電車でローテンボーデンまでくだり、「逆さマッターホルン」で有名な「リッフェルゼー」に行くが、風が強く、「逆さ
マッターホルン」は、残念ながら綺麗には見えなかった。
そしてリッフェルベルグまでハイキング。
ホテル・リッフェルベルグで昼食。
通常、一般のハイキングツアーでは、駅に近いレストラン・リッフェルベルグで昼食をすることが多い。
こちらはセルフサービスなので、便利といえば便利なのだが、静かに、そしてマッターホルンを見ながら食事する
には、ホテル・リッフェルベルグのレストラン(館内)が、お薦めである。

ツェルマットの街中は、相変わらず観光客や登山客などで混んでいるが、今日は中国人や韓国人の団体客が
多い気がした。つまり、ツェルマットにも、これらの観光客が押し寄せている・・・ことを物語っているのである。
2004年09月21日(火) 天気は 晴れ 写真 0445
今日は、移動日。
グリンデルワルトでは、朝から晴れていた。
インターラーケン・ヴェストから遊覧船(定期船)に乗り、シュピエッツへ向う。
天気が良いので、船での遊覧も気持ちがよい。
シュピエッツからバスに乗り、テッシュへ向う。
そして、登山電車でツェルマットに到着。
マッターホルンもしっかり見えて、お客様たちも喜んでいた。
2004年09月20日(月) 天気は 晴れ 写真 0444
今日は、朝からガスが一面の真っ白だった!
でも、やがて回復するのが分かった。。。。。。

きょうは、長野県松本の「スイス協会」のツアーに同行し、ユングフラウヨッホへ向う。
ガスもヨッホの高さではなく、青空と真っ白な雪を頂く、多くのピークが見れた。

帰りは、クライネ・シャイデックからアルピグレンまでの一駅を歩く。
天気も良くて、サイコーだった。。。。
2004年09月19日(日) 天気は 晴れ 写真 0443
今日も、サイコーの良い天気だった。

今日は、チューリッヒからマイエンフェルトへ。そして、「ハイジの泉」へ。
スイスの子供たちがお金を出し合って作ったという場所でした。
それから「ハイジの博物館」へ。

クールからは「氷河急行」に乗車。
別のグループなのだが、クールから乗車したこともあって、聞いてみると、
「おやじのつぶやきファンでしよ!」と言う声も聞かれましたね。。。。

その後、アンデルマットからスーステン峠を越えて、マイリンゲン経由、グリンデルワルトへ向う。
グリンデルワルトでは、「歓迎アペロ」と、夕食会(不要)、挨拶ないけど、土産なし。。。。
2004年09月18日(土) 天気は 晴れ 写真 0442
今日も、サイコーの良い天気だった。
クラブツアーの出発日。
みなさん、元気良く帰国の途につかれました。
次回の再会を約束して。。。。

おやじは、クラブツアーに遅れてグリンデルワルトを出て、チューリッヒ空港に向った。
今夜から、長野県松本の「スイス協会」のツアーに同行(ガイド)するためである。
姉妹村である安曇村との交流のための訪問団である。
今夜から一週間のお付き合いとなる。

チューリッヒ空港のホテルに、久しぶりに宿泊したが。
部屋のミニバーを使用するにも、外へ電話をかけるにも、100フランのデポジット、または、クレジット・カードの
提出を求められた。
フロントで聞くと、使用した金額を支払わないでチェックアウトする客が多いそうだ。
これも、ホテルの自衛手段なのだろう。。。。
が、きっちりと支払う日本人には、デポジットやカードの提示は、馴染めないかも。

あ〜あ、嫌な世の中ですね・・・・・。
2004年09月17日(金) 天気は 晴れ 写真 0441
今日は、朝からいい天気。サイコーの天気だった。
クラブツアーの最終日。
みな、思い思いに動いているでしょう・・・・

私は、明日から始まる次のツアー(姉妹都市の安曇村/松本市)からのツアーの準備に追われ、午後からは
今夜の「安東一郎誕生50周年記念夕食会」で見せるビデオ編集に追われる。

今夜の「安東一郎誕生50周年記念夕食会」は、今来ているクラブツアーにも合わせた日程で作られているが、
その内容は???? 子供たちがオーガナイズしており、私は知らない。

午後7時にクラブツアーの参加者とフィングシュテックに上がり、そして、「安東一郎誕生50周年記念夕食会」が
始まった。自宅に帰って来たのが午前01時過ぎ。。。。
2004年09月16日(木) 天気は 雨/曇り/晴れ *** 0440
今日は、朝から曇ったり、雨が降ったりしていた。
また、ガスに覆われて真っ白だった。

私は結婚式のビデオ撮影でフィルストに上がったが、最初は寒かった。(リフトの係員は+1℃だと言っていた)
やがてガスも薄くなり、気温も少しづつ上がってきたが、フィルストからは山は見えなかった。
午後からは、ガスもなくなり、太陽が顔を出すと、今度は一気に気温が上昇する。

日本は「秋の行楽シーズン」なのだろうか。
なんとなく日本人団体さんの姿が多くなったような気がする。
2004年09月15日(水) 天気は 雨/曇り/晴れ 写真 0439
今日は、朝から雨が降っていた。
(グリンデルワルトでは1日中雨だったようだが、私の行く先々は、曇り、晴れ、そして、小雨が降っていた)

今日は、オプショナル・ツアーで「グリュエール・チーズ見学とムルテン観光」に行く。
参加者は12名。他の4名はツェルマットへ日帰り観光に行き、2名は自由行動だった。

まずは、グリュエール・チーズ工場で、近代的なチーズ作りを見学する。
そして、グリュエールの村に行き、お城を見学。
昼食は、もちろん「グリュエール・チーズ」で作る「チーズ・フォンデュ」を食べる。
次に、ムルテンの町に行き、観光をする。
スイスの首都ベルンを作った人と同じ人が作ったため、ベルンのミニチュア版のような町である。
そして、夕方にグリンデルワルトへ戻ってきた。
写真は、
http://www.jibswiss.com/clubtour-2004-s-04.html
2004年09月14日(火) 天気は 曇り/雨 写真 0438
今日は、朝からどんよりした雲が掛かっていた。
で、やがて雨が降り始めたものの、激しい雨ではなかった。

今日は、「専用車で巡る4つの峠」を行なう。
グリンデルワルトから車体の黄色い「グリンデルワルト・バス」で「グローセ・シャイデック」峠へ。
ここからは「ナイフエッジ」のアイガーなどが見える。
予定になかったのだが、途中の「アーレ・シュルフト」峡谷に行き、入場する。
その後、2番目の「グリムゼル」峠にあがり、レストランで昼食を取る。
「ベルベデーレ」からは、「ローヌ氷河」を見る。
3番目の「フルカ」峠を越えて、「アンデルマット」へ。
そして、4番目の「スーステン」峠を越えて、インターラーケン経由でグリンデルワルトに戻って来たのが、午後
5時ごろだった。
写真は、
http://www.jibswiss.com/clubtour-2004-s-03.html
2004年09月13日(月) 天気は 晴れ 写真 0437
今日の天気は、コロッと変わって、晴天。
真っ青な晴天だった。

登山電車でユングフラウヨッホへ。ハイキングでメンヒヨッホヒュッテへ行く。
帰りは、アイガーグレッチャーからアルピグレンまでの「アイガー・トレイル」を歩く。
1日では、なが〜い、1日だった。。。
写真は、
http://www.jibswiss.com/clubtour-2004-s-02.html
2004年09月12日(日) 天気は 曇り/雨 写真 0436
今日の天気は、曇り/雨だった。

昨夜、「グリンデルワルト・クラブ・ツアー2004秋」が到着した。
今日は、天気が悪いので、午前中は自由行動。
お昼からフィングシュテック〜シュティーレックへのハイキングに出発した。
生憎の天気で残念だった。

夕方には、グリンデルワルト村長と観光局副局長が参加してのアペロと、夕食会を催した。
写真は、
http://www.jibswiss.com/clubtour-2004-s-01.html
2004年09月11日(土) 天気は 晴れ 写真 0435
今日の天気は、昨夜には雨が降り、朝のうちは曇り。そして少しづつ晴れ間が広がってきた。
気温は高くなっていた。

3人のお客様を連れて、ラウターブルンネンの「トゥリュンメルバッハの滝」を見に行く。
丁度、「ユングフラウ・マラソン」の開催日にあたり、道路もコースとなるので、乗る予定のバスが運休。
結局、ランナーが居なくなるまでの間、走ってくるランナーを見ていた。
(場所は、約25kmあたりの地点で、「トゥリュンメルバッハの滝」のすぐ近くだった)
http://www.jungfrau-marathon.ch/

夜には、名古屋からのコーラス・グループとグリンデルワルトのヨーデル・グループとのジョイント・コンサートが
開かれた。
弊社でオーガナイズしている催しなので、来場者があるか、どうか、心配していたが会場が満席になるほどの
盛況で、良かった、良かった。
http://www.jibswiss.com/news-rainbow-chorus-2004.html
2004年09月10日(金) 天気は 晴れ *** 0434
今日の天気も、晴れ。
しかし、少しづつ雲が増えてきたような気がする。

今日は、3人のお客様を連れてユングフラウヨッホへ行く。
帰りにはハイキングをする。暑い日だった。

さて、日本のニュースから・・・
『社会ニュース - 9月9日(木)15時18分      タクシーじゃない!救急車要請急増に都が有料化検討も
  東京都内の救急車の出動件数が急増している。
高齢化で独居老人が増えていることに加え、「無料で搬送してくれる」「診療が優先的に受けられる」などの理由
から、安易に利用するケースも目立っている。
  都の試算では1回の出動でかかる経費は約4万5000円。都は「活動に支障を来すし、余分な負担が生じる」
とマナー違反の利用を問題視しており、救急サービスの一部有料化も将来の検討課題と位置づける。
9日は「救急の日」――。
  都内の救急出動件数(島しょ部などを除く)は93年には約41万件だったが、98年には50万件を超え、その
後は毎年、2万3000―3万8000件の規模で増加している。今年も8月末で約45万件と、昨年同期を約1万件
上回るハイペースが続いている。
  こうした状況を受け、都財務局は救急事業のコストを分析。2002年度決算で救急車の購入費や維持費、
人件費などが約285億円に上ったことから、救急車の出動件数で割って、1回当たりの費用を約4万5000円と
算出した。
  都は利用急増の原因について、都会で独居老人が増えていることが関係していると見る。65歳以上の利用者
は98年に30%を超え、昨年は約36%に達した。
  その一方で、救急隊員が現場で戸惑う事例も増えている。
東京消防庁によると、「具合が悪い」「腹が痛い」といった要請で駆けつけたものの、症状を確認すると「独り暮らし
で寂しかった」「1人で病院に行くのが不安だった」などと打ち明けられ、そのまま引き揚げるケースもあるという。
  さらに、救急車をタクシー代わりに使おうとする例もしばしばあり、50代の男性は「9時から入院することに
なっている」と病院名を指定して出動を要請、衣類を入れた紙袋を手に持って待っていたという。
  「歯が痛い」と夜間に要請してきた20代の女性は「診察してくれる歯科医院が分からないから」と説明した。
忘年会のシーズンには、酒を飲み過ぎた人からの救急コールも多い。
  こうした現状に対し、同庁は「要請を受けた段階では緊急性の有無を判断できず、まずは駆けつけるしかない」
と頭を抱える。実際、搬送者の症状を分析すると、昨年は生命に危険がない軽症者と中等症者が全体の9割
以上を占めた。
  また、昨年の現場への平均到着時間は6分24秒で、5年前より1分6秒遅くなっていたが、都は交通混雑の
影響に加え、出動件数の急増が関係していると見ている。
  都は、緊急度が高くない利用については、利用者に負担を求める「一部有料化」の導入可否について、今後、
検討せざるを得ないとしている。      (読売新聞) - 9月9日15時18分更新』

とのこと。
タクシー代わりに利用するなんてもってのほかだが、「独り暮らしで寂しかった」「1人で病院に行くのが不安
だった」なんて聞くと、なんだか考えさせられるな〜。

ちなみに、グリンデルワルトの場合では、
我が家の長男が4歳で、長女が1歳の頃。(今から11年ほど前のことである)
子供+初心者用のスキーゲレンデで、長男が一人でスキーをしていた。
しばらく経っても長男が戻ってこないので、不安になった家内がスキーリフト乗り場に駆けつけると、そこに丁度
救急車が到着していた。
長男は転んだ拍子に泣き喚いた。周りの大人たちが声を掛けてもまだ言葉が話せなかった長男は、ただ泣く
ばかり。しかも、親らしき姿がない。そこで、大人たちが心配して救急車を呼んだのである。
家内が事情を話し、長男は怪我もなく泣き止んだのだが、その救急車で自宅まで送って行ってもらった。(笑)
あとから届いた請求書の額が、ナント、150フランほど(約15、000円)だった!
(現場から自宅までは、徒歩で約15分ほどだったが。。。。)
「高いタクシーだったね〜」と回りに言われた。

今夏、中近東に駐在している家族の子供が、フィルストからのハイキング中に転んで怪我をした。
すぐにグリンデルワルトの医者に連れて行ったが、意識不明で手に負えないと、更にインターラーケンの病院に
運ぶことになった。その際にグリンデルワルトからインターラーケンの病院までの運送費が、ナント、1200フラン
以上だったそうだ!!(約12万円!!)
(きっと、何かの応急処置費も含んでの料金だろうと思うが・・・)

このようにスイスでは救急車は有料であり、しかも高い。
だから事情を知っているスイス人は、
まず「自家用車」を使用する。次に「タクシー」を使うのである。
まあ、観光客(ツーリスト)の場合は、自家用車を使うよりも救急車を呼んだほうが、その後の応急処置や、
病院での治療には応対が早いから、その分高いと思えば、、、、、いいのじゃないだろうか。
2004年09月09日(木) 天気は 晴れ *** 0433
今日の天気も、晴れ。

久しぶりにお客様を連れてツェルマットに行った。
これは、弊社で作っているオプショナル・ツアーで「ツェルマット日帰りパッケージ」であり、朝の08時にグリンデ
ルワルトのホテルを出発し、現地には約4時間30分ほど滞在し、ゴルナーグラート展望台に行ったのである。
そして再びグリンデルワルトに戻ってきたのが、午後6時30分だった。

ツェルマット方面も、天気がよくて、しっかりとマッターホルンは見えました。
晴天でしたからね・・・。
丁度お昼ごろの登山電車だったにも関わらず、電車は混んでいたし、ゴルナーグラート展望台もレストランも
混んでいました。
我々は、予約をしていたので、すぐに座れて、食事もスピーディーに出てきたのでよかったです。

登山電車で村に下りて、メインストリートを散策しました。
町の中も、人が多く、混んでいました。

で、夕方、グリンデルワルトに戻ってきたら、お客様はひとこと。
「やっぱり、グリンデルワルトの方がいいわね〜」。。。。。
「ホットするわね〜」
2004年09月08日(水) 天気は 晴れ *** 0432
今日の天気も、晴れ。

久しぶりにお客様とユングフラウヨッホへ上った。
相変わらず、観光客で電車もクライネ・シャイデック駅もユングフラヨッホ駅も混んではいたが、しかし、夏の
ピークほどではない感じだ。
やはり、夏のハイシーズンは過ぎ去ったようだ。
日本人では、またまた中高年の団体さん(H社とか、H社とか、H社とかのバッジを付けた人)が多くなった
ような気がする。

カウンターに来た若者とスタッフの会話。。。。
「○○パスは、ここは使えますか?」
「そこは、使えません。パスの有効区間は、XXまでですから」と、スタッフ。
「でも、さっきその区間の電車に乗ってきましたよ。車掌さんは何も言わなかったけど・・・・」
「車掌さんが勘違いしているのでしょう。この区間は使えないとパンフレットには書いてありますから」と、
スタッフ。
「でもな〜、さっきの車掌さんは何も言わなかったよな〜〜」と、ブツブツ。。。。。
その後、スタッフが何を言っても、聞く耳持たず・・・・。
”じゃ、駅でも行って聞いてみたら!”(と、言いたい気持ち)
「もういいや・・・」と捨て台詞。。。。を残して若者は出て行った。。。。。

な〜んだ、このヤロー。
人に物事を聞いといて、そんな台詞はないだろうが!
パスのことを聞くから教えてやったのに。
人の意見を聞かないんだったら、最初から聞くな!
知りたいんだったら、自分で駅で聞けばいいだろうが〜。

これは、「ひとりごと」です・・・・・(ハイ)
2004年09月07日(火) 天気は 晴れ *** 0431
今日の天気も、晴れ時々曇り。
また「夏日」が戻ったように、暑くなった。
先週は、天気が不順で寒い日があったり、標高2000m付近では積雪もあったのだが。。。。
今週は、暑い日が続いており、夜間でも窓を開けている時間が多くなった。

さて、日本のニュースから・・・
『社会ニュース - 9月7日(火)2時42分    台風、列島狙い撃ち 「エルニーニョもどき」世界で異常気象
  猛暑、豪雨、台風…。今夏、国内だけでなく、世界各国でも異常気象が発生し、それにともなう気象災害が
多発している。日本に限って言えば、「太平洋高気圧が強い」ことが直接の要因だが、地球規模でみると、
異常気象をもたらすとされる「エルニーニョ現象」への移行段階、「エルニーニョもどき」ともいえる赤道部付近
の中央部太平洋の海水温上昇が、背後で影響を及ぼしていると専門家はみている。
  本州に接近中の台風18号と19号は、日本を狙い撃ちするように向かっている。上陸すれば1年間の台風
上陸数としては過去最多の7個目。しかし「9月の台風の進路としては常識的な動き」(気象庁)で、「異常」は
6月から8月に現れた。
  この夏、日本に異常気象をもたらした「強い太平洋高気圧」の主要因を、地球環境フロンティア研究センター
の山形俊男・東大大学院教授は「通常は西太平洋にある温かい水塊が、赤道域の日付変更線よりも東まで
移動したエルニーニョもどき」と指摘する。
  エルニーニョもどきにより、フィリピン沖で上昇気流が活発になり台風が頻繁に発生、6月にもかかわらず
秋の台風のように4号、6号が日本を縦断、その後、10号、11号と続いた。
   一方、世界に目を向けると、7月に欧州南東部で30人以上の死者を出した熱波が発生。
6月中旬から7月にかけては、インド東部からバングラデシュの大洪水で死者2000人以上の被害が出ている。
米国南東部は8月に大型ハリケーン「チャーリー」に襲われ、23人の死者が出た。
  山形教授は「エルニーニョもどきと直接的に関係している可能性がある」と世界各地の異常気象との関連を
指摘する。
地球の温暖化が進んでいる現在、海面水温の上昇は世界的な問題。山形教授は「海面水温が上昇すれば
大気の取り込む水蒸気は増え、豪雨や台風の発生は多くなる。雨が降る地域ではより大量に降り、乾燥する
地域ではどんどん乾燥するようになる。ありがたくないが温暖化は気象現象にメリハリを付けることになる」と、
異常気象が今後一層激しくなることを予想している。     (産経新聞) - 9月7日2時42分更新』

そうである。
昨日「つぶやいた」ようにエベレストでも雪が溶けて、標高が低くなっている。
世界的に天気がおかしい、そうだ・・・・。
(と、毎年言われているような気もするが。。。。)

地球は、このままゆくとどうなるんだろうか?????
2004年09月06日(月) 天気は 晴れ *** 0430
今日の天気は、晴れ時々曇り。

9月ともなると、さすがに夏休み中の旅行者の姿が少なくなり、またまた中高年の姿が少しづつ多くなっている
気がする。そして、一見OL風の若い女性たちの姿も見かける。
夏休みをずらして旅行に来るのだろうか?
それとも、夏休みをしっかりと取ったあとに、再び休める状態なのだろうか?

さて、ちょっと古いが日本のニュースから・・・・
『海外ニュース - 8月16日(月)19時46分      雪が氷に変化…温暖化でエベレストの標高、年々低下
  【北京=竹腰雅彦】世界最高峰のエベレスト(中国名チョモランマ)の標高が、地球温暖化の影響で年々
低くなっていることが、中国科学院青蔵高原研究所などの調査で明らかになった。
  新華社通信によると、エベレストの標高は、1966年には8849・75メートルだったが、1999年には8848・
45メートルとなり、1・3メートル低下した。
1年の低下ペースは1975年から1992年までは1センチだったが、1992年から1998年までは約10センチ
に拡大し、1999年には13センチに達したという。
  エベレストの山頂部分は厚さ十数メートルから数十メートルの雪と氷の層が存在する。
研究者は、「気温の上昇は、雪が氷に変化するプロセスを加速する。標高の低下は、雪が氷に引き締まる
過程で起きた」と指摘。実際に標高の急低下が始まった1992年は、「気候が急激に温暖化した時期と付合
する」としている。(読売新聞)      [8月16日19時46分更新]』

やはり、地球の温暖化だろう。
地球の表面や大気が熱くなれば、雪も氷河も溶けてゆく。
溶ければ水になり、川に流れて、海に注ぐ。
通常の量であれば、問題はないが、溶ける量が多くなれば、海からはみ出す。つまり、地上に溢れて来る。
海抜0m地点では水がにじみ出て来るだろうし、1cmの水が増えただけでも、人間の暮らしに色んな影響が
でてくるだろう。
オランダなんかは、海面下の土地が多い。
これから、どうなって行くんだろう。。。。。

台風18号が近づいています。
九州、四国、中国地方の方。十分にご注意下さい。
また、紀伊半島近くでも地震が発生。
関西地方、西日本地域の方々、大丈夫ですか!?

おやじの家内の実家は大阪南部にある。
電話したら、大丈夫のこと。安心した。
2004年09月05日(日) 天気は 晴れ *** 0429
今日の天気も、晴れのち曇り。

午前11時から、知人のおじいさんの「85歳の誕生日会」に招待されて家内と二人で行った。
このおじいさんは、クライネ・シャイデック駅の前にある「Wyss Sport」(ヴィース・スポーツ)という
スポーツ・ショップ兼お土産屋さんの経営者である。
ユングフラウヨッホ観光へ行ったことのある方なら、多分分かると思うが、登山電車の乗り換え駅である
「クライネ・シャイデック」駅前にあるお店である。(見たことがあると思うが・・・・)

おやじたちが、21年前にグリンデルワルトにやって来た時に、非常にお世話になった方である。
お店でアルバイトしながら、スイスのグリンデルワルトのことをイロイロと教えてもらった。
そのおじいさんの誕生日会である。
80名以上の方々が招待されており、駅前のホテル・クロイツに集まっていた。
(このホテルとも親戚関係である)
若い子供からおじいさんやおばあさんまで、年齢も様々、職業も様々。
もちろん、個人的な誕生日会だから、家族、知人や友人ばかりだろうが。。。。

おじいさんはグリンデルワルトの地元の人だから、招待客も殆どがおやじたちの知っている人ばかりだった。
まず、アペロ(白ワインやジュースと共に軽食が出て、それぞれが語り合う)が、1時間15分くらい。
それから、テーブルに着席しての昼食が始まった。

おやじたちの席には、長女の仁子(にこ)と同じクラスの男の子(複合学級なので1年上のクラスだが)の
両親と、同じクラスの女の子のおばあさんと、村の印刷屋さんで働く夫婦。そして、知らない夫婦、
だった。。。。(笑)

まず、おじいさんの挨拶がある。(まあ、「みんなよう来てくれたな〜」、、、みたいな挨拶である)
それぞれのテーブルごとに乾杯し、食事が始まる。
途中で、招待客と村役場を代表して、スチューダー村長が挨拶する。
(「○○さん。ご招待ありがとう。これからも長生きしてください」。。。みたいな挨拶である。そして、記念品を
手渡した)

ゆっくりと食事が続き、コーヒーが出て、チラホラと客が帰り始めた頃、おやじたちも帰ることにした。
(勿論、それぞれの方々に挨拶しながら。そして、おじいさんにも「益々元気でね!」と言って)
で、ホテルを出ると、ナント、時計の針は午後4時になっていた。。。。。
約5時間も掛かったお誕生日会だった。(苦笑)

長男の一康(いっこう)の、今シーズン第1回目のアイスホッケーの試合が、トゥーンで行なわれた。
今シーズンからは、「ノビッツァ」というクラスに上がり、しかも1、2、3という3つのランクの1で行なった。
(「1」が強いランクである。また、アイスホッケーをする子供の数が少ないので、グリンデルワルト+
 インターラーケン+トゥーンの混合チームである)
結果は、7対3で負けたそうだ。
が、一康は「1点」を入れたそうだ!
(昨シーズンは無得点であり、シーズン最後の試合でチームメイトたちの暖かい「1点」を入れたのだが)
今シーズンは、第1試合から得点したそうだから、幸先のよいスタートを切ったことになる。
(おやじは、素直に嬉しい〜〜〜笑)
2004年09月04日(土) 天気は 晴れ *** 0428
今日の天気も、晴れのち曇り。

ロシアの北オセチア共和国で起こった「学校占拠」事件。
死者が350人以上。
そのうち子供(生徒)が半数という。
無差別に殺戮し、容赦なく子供までも銃などで、後ろから殺害したテロの犯人たちを、憎む。
少しづつ事件が解明されようとしているが、今回のテロにも、例の「アル・カイダ」グループが、金銭面でも、
技術面でも協力、援助したと聞くと、更に「アル・カイダ」グループと、主犯のオサマビン・ラディンを、憎む。

アフガニスタンで追い詰めながら、取り逃がしてしまったアメリカとブッシュ政権。
あの時、捕まえていたら、事態は多少変わっていたかも知れない。

今まで、大きな事件など起こっていなかったであろう、このベスランの町では、この事件が、生涯語り
継がれるだろう。そして住民たちの心にも一生涯、深い傷が残るだろう。。。。
助かった子供たちも、目の前で行なわれた殺人に、恐怖におののいており、
「もう学校には行きたくない」と、言っているそうだ。
「行くと、怖い男たちが待っているから」だ、そうだ。
まだ幼い、殺された子供たちのそばで号泣する母親の姿など見ると、とても、いたたまれない。
同じように子供を持つ親として、なんとも悔しく腹立たしい事件である。
2004年09月03日(金) 天気は 晴れ *** 0427
今日の天気も、晴れのち曇り。

さて、日本のニュースから・・・
『海外ニュース - 9月4日(土)1時54分      露部隊が突入し学校制圧、死者150人超す
   【ベスラン(ロシア・北オセチヤ共和国)=古本朗】チェチェン武装勢力と見られるグループがロシア・
北オセチヤ共和国の中等学校を占拠していた事件で、ロシアの特殊部隊は3日午後1時(日本時間同
6時)ごろ、犯行グループが立てこもっていた学校に突入、学校を制圧した。
   露政府高官は、突入作戦による死者が「150人をはるかに超える」と述べた。
人質は約1200人いたことが判明し、負傷者も児童・生徒を含め500人を超えた模様だ。
事件は発生から丸2日でほぼ終結したが、2002年に起きたモスクワの劇場占拠事件を上回る大惨事に
なった。
  アスラハノフ露大統領顧問は3日夜、ロシアの記者団に「死者数は150人を超す」と語った。
同顧問は、突入作戦の前に犯人と電話で接触、犯人側は「人質は1200人。うち70%は子供だ」と語った
という。
また、救出された人質の1人は本紙の取材に、「体育館内には約1500人の人質がいた」と語った。
犠牲者の中に、多数の子供が含まれているのは確実だ。    (読売新聞) - 9月4日1時54分更新』

世界中が注目していたこの事件も、特殊部隊の突入で幕が下りた。
しかし、死者が150人を超すと言う。

いつも思うのだが、人質ごと射殺するアメリカ。多くの死者を出しても突入するロシア、など。
日本だったら絶対にしないような方法を、外国ではいとも簡単に行なう(ように、私には思える)。
警官一人死んでも大きな話題になる日本は、いい意味で「人間を大切に扱う」のではないだろうか。

外国だって、「人間を大切に扱う」はずなのに、いつも大きな犠牲を出しているように思う。
これも、「国家を守るため」「テロには屈しないゾ!」を見せ付けるための、その国の方針だろうが。。。

もし、ここにおやじの子供が人質になっていたら、おやじは、頭に日の丸のハチマキを締め、学校の中に
飛び込んでいくだろう。。。。。

もし、この学校にプーチン大統領の子供が通っていて、人質になっていたら、果たしてプーチン大統領は
同じ行動に出たのだろうか?

もし、北朝鮮に拉致された人の中に、小泉首相の子供や親戚が居たら、もっと早くに北朝鮮から連れ
戻していたに、違いないだろうな〜〜〜。

”人間、自分の身内に不幸が起こらないと、他人の痛み、悲しみ、辛さ、そして怒りが分からないだろう”
と、思う。
2004年09月02日(木) 天気は 晴れ 写真 0426
今日の天気も、晴れ。でも、雲が少しづつ多くなってきたように思う。

ところで、「おやじのつぶやき」ファンから、次のようなメールが届いた。
『はじめまして。いつも「おやじのつぶやき」楽しく読まさせてもらっています。
グリンデルワルトには1回、スイスには2回ほどいっている53歳のおっさんです。
話題に取り上げてもらえたらという事がありメールしました。
 ドイツやスイスに行くときに、いつもへったくそーな英語でなんとか済ませているのですが、やっぱり
 ドイツ語が話せると良いと、ドイツ語の勉強始めました。
で、どうやらスイスドイツ語(話言葉)はドイツのドイツ語とはずいぶん違うらしいという事のようですね。
 またフランス語やイタリア語もありますね。
 ガイドをされている中での、あるいは日常生活の中での言葉に関する話題があれば、時々紹介して
 いただけると楽しいです。』

で、イロイロと考えたのですが・・・・。

私のドイツ語は、大阪のECC(梅田)で、1年間勉強したのが、約25年前。
そして、スイスに来てベルンの語学学校で個人レッスンを1ヶ月間受けたのが、約15〜16年ほど前。
それだけです。だから、下手です。(苦笑)
家内は、日本ではドイツ語はやっていません。ベルンの学校だけです。
しかし、やはり女性のほうが元々の素質があるようで、子供が出来てからは、先生、看護婦さん、病院。
幼稚園、学校、先生、他のお母さん方と、地元の方との会話をする機会が多く、物覚えも速いようです。

下手ですが、おやじのドイツ語は、一応「標準ドイツ語」だと自分では思っています。
あるとき、ドイツから来たドイツ人と話す機会がありました。
彼は、私と話すとすぐに、
「あなたは、スイスに住んでいるのですか?」
と、聞いてきました。

あるとき、チューリッヒに仕事で行って、スイス人と話す機会がありました。
彼は、私と話すとすぐに、
「あなたは、ベルナーオーバーランド地方に住んでいるのですか?」
と、聞いてきました。

つまり、私には分からないのですが、ドイツ人やスイス人には、きっと私の話すドイツ語のアクセントで、
”スイスに住んでいる=スイスドイツ語”、或いは”ベルナーオーバーランドに住んでいる=訛っている”
事が分かったのでしょう。
きっと、ある人が大阪弁を話すと、「あなたは大阪からですね?」と聞くのと同じではないでしょうか。

我が家の子供たちは、インターラーケンの総合病院で生まれた「日本人の子供第1号」と「第2号」ですが、
グリンデルワルトで育っただけに、二人とも「グリンデルワルト・ドイツ語」(地方語)を話します。
そうです。
メッチャ、メチャ、訛っているのです。
子供たちが、友達同士で話しをしていると、「とても、自分の子供とは思えません」(苦笑)。

家で、親子4人で食事をしていて、話題が学校のこと、友達のこと、、、、などになると、おやじはまるで
”スイス人家庭にお邪魔した「場違いな日本人おやじ」”になってしまい、ただモクモクとひたすら静かに
食事させていただくのです。。。。(笑)。

「今月の写真」公開しました。
2004年09月01日(水) 天気は 晴れ *** 0425
今日の天気は、素晴らしく「真っ青な晴天」。
フィルストでの結婚式があった。今日、挙式する方は、本当についている。

遂に、9月。
あっという間に9月になってしまった。もう、夏も終わりかぁ〜・・・・なんて、心境だ。

9月は、おやじの誕生月である。(ちなみに、23日である)
この23日で、おやじは遂に大台に乗ってしまう。。。。人生も3分の2となる。
なんだか、嫌だな〜〜〜〜(苦笑)
まだまだ若いと思っているのに。年齢だけがドンドンと数を刻んでゆく。

今月は、行事が多い。
しかし、仕事がたまっている。しかも、なかなか、はかどらない。
事務所でも、自宅でも仕事を続けているが、なかなか進まない。
1日が30時間くらい欲しい。。。。。身体が2つ欲しい。。。。。
そんな心境である。

ところで、スイスのニュースから・・・
『スイス鉄道:孫と一緒に乗車出来る定期券を検討 (Mon. 26.07.04 Smi)
 スイス鉄道SBBは、「孫定期券」の導入を年間60フラン(5,200円)で検討している。
この特別定期券で将来、祖父母は公共交通機関に孫を連れて乗車出来るようになる。
「孫定期券」は、子供1人がスイス国内の鉄道網、ポストバス、船に無料で乗れる。
この切符は2004年12月12日から発売される。
新しい鉄道カードは祖父母がもっと鉄道を利用して旅行するよう、又孫も連れて旅行に行けるよう振興を
図るのが目的』

スイス国鉄は、いろいろとアイデアを考えるよね。
例えば、
*子供の遊び場付き車両(長時間の鉄道旅行に子供が飽きないように)
*自転車持込可能車両(自転車で旅行する人に)
*ジュニアカード(子供がたくさん居る家庭用に。親が運賃を支払えば、子供は無料)
*半額カード(全ての乗り物が半額で購入できるカード)
*日帰りチケット(出発地点〜目的地への往復切符が、安く買える)
などなど。
マイカー客を鉄道に取り込むためのアイデアである。